大嫌いな葉牡丹

さてさて、明日からまた治療が始まる。
バリバリ動いておこうと張り切っていたが、ここしばらく天候には恵まれない。
日曜は八千代の丘美術館で展示の打ち合わせがあり、土師ダムの紅葉でも眺めて帰るつもりだったが何と雨が雪に。
月曜はスカッと晴れて「よおし、自転車に乗るぞ!」と昼食後すぐに出掛けたが黒雲舞い起こり暗転。
自転車のタイヤまでおかしくなって仕方なく近くの「石が谷峡」を歩く事にした。
イメージ 1
陰気な入り口にたじろいだが、大きなスケールと奥行きのある良い散歩コースだった。
30年前まではそれなりの避暑地だったのかもしれないが、誰ひとり行き交う人もなく、「先月、熊が出ました」という表示だけが新しい。
早足で6kmを歩き、車に戻ったら降り出した。
昨日は
大学で新年度授業計画の調整や図書館での相談とかで午後を過ごし、夕方は知恵熱から回復した孫に会いに息子宅へチーズフォンジュの出前。
孫は新しいアクションを幾つか会得していた。何をやっても初めてなのだ。
そして今日は
朝から暗い。坂道しかない近隣を自転車で回って忘れかけていた筋肉を動かしておく。
ホームセンターを何軒か覗いて教室整備のパーツを探した。
というように、かなり復帰モードの数日だった。
ところで
ホームセンターには早くも葉ボタンが並んでお正月が近づいたことを告知している。
イメージ 2
僕は嫌いな食べ物が無い。
「これは食べられない」という言葉は周辺でも聞いたことが無かったから、息子達が彼女を見つけて、結婚で親戚が増えて、一緒に食事の機会が増えて、ニンジン、トマト、納豆、タケノコなどを苦手にする人がごく普通に居ることを知って、とても驚いた。
誰もが何か苦手、嫌いなものを持っている。
すると自分にも何かひとつぐらいは嫌いなものがないといけないような気がしてくる。

きょう葉牡丹を見て思いだした。
僕にも嫌いなものがあった。
キャベツよりも分厚いハッパの質感が、厚かましいオバハンみたいで、風にも揺れず、ずっと同じ顔していつまでも在る。
また葉牡丹=正月である。
正月は好きではなかった。
その理由をここでクドクドと述べるのは控えておこう。
正月は風習であり、儀式であって仕方なくやるものだからね。
しかし、何処へ行っても葉牡丹ばかりだった。
これを見ると、退屈で所在のない気分が甦る。
でも葉牡丹に向かって「お前なんか大嫌いだ」なんて言えないだろうな。