記憶

卒業生から自作への助言を求められた。抽象系の絵画なので一瞬ためらう。でもどんな絵でも全体のバランス、表したいことがスパッと伝わるように邪魔ものを省く。付け加えることは少ない。

トリミングをしながら要点を探り、色面を拡大したり色相を変えたり。そんな作業をしているうちに、この絵は海を描いてるなと感じられてくる。

果たして、沖縄だったのだけれど面白かった。

秋の展示に向けて、そろそろ動き出さないといかんな。そんなことを考えながら眠ると、夜明けごろにいろんなアイデアが浮かぶ。

内田洋子の「ボローニャの吐息」を読み通す。

出会った人と街の情景描写が巧みだ。自己主張の少なさが物足りなく感じるが、それだからできる描写なのだろう。

再三ベネチアが出てくるので、その度にグーグルの3D画像で確かめてみる。一度しか行ったことが無い街だがかなり記憶していて、自分が歩いたルートも半分ぐらいは辿れる。夜に水位が上昇して排水溝から海水が噴出する中を、コンサート会場から宿へと必死に走った。

ロッコマラケシュも出てきて、迷路と血が滲む肉塊を売る店やフナ広場の芸人など、現地の音が聞こえてくる。

思い出すというと写真アルバムが登場するけど、印象が定着できるほどの写真はまず撮れない。音も残しにくい。それでも思い出すことって、とても大切な事だ。

思い出を他人に伝えるのは困難だが表現の原点なのだ。