DM作り

今年は11月にメンバーが関わる大きなイベントがあるので12月の開催に戻った。

このDMは毎年、俺が作っていて、忘れそうになるイラストレータの操作法をかろうじて維持できている。

今回の趣旨はワイルド感。少しでもザラっとした感じを出したかった。

AIとは異なる価値観を出せるかどうか。デジタル系表現の課題だ。

20回目になるなんて、長生きすればこそ。

こんな施設に恵まれて、しかも無料なんて、有り得ない厚遇だ。

幸福って、そういう幸運がもたらすものなんだな。

いかんぞAI

調子に乗ってレオナルド風を指定したらトスカナ風景が返ってきた。

よくやるなあと笑いつつ、新海誠のアニメ映画と要望したら

これは、何たることだ!大まかな構図の指定だけで、ここまでの描画。

莫大な時間と高い技術をかけて制作していた人の仕事はどうなる?

著作権は?

何百年前の画家なら笑って見過ごせるけど、これはいかん。

文学や音楽でも同じことが起こっているのだろう。

検索すると昨年末に話題になっていたようだ。雑誌、文学界で特集されている。図書館にはないから中古本を注文した。

それにしても・・・・・・

AI浸り

今朝の朝日新聞もAI関連の記事が3件もあって、特に「検索順位を競うことなく、注目される(AIが注目する)情報なら、世界中に拡散され得る」ということに注目した。

この文章をAIに修正させると

今朝の朝日新聞でAI関連の記事が3本取り上げられていた。その中で特に印象に残ったのが、「検索順位を競うのではなく、AIが注目する情報こそが世界中に拡散される」という指摘だ。

先日のスケッチをアップして、彩色を依頼。

セザンヌ風を指定した。やり過ぎだけど良い出来だね。

エゴンシーレを指定した。表現主義風にしたとAIはコメントしてるけど。

悪乗りして水墨画も

オリジナルの線描を活かして、淡く彩色を、という条件でやっとそれらしくなった。

かなり勝手なことをやってくれると感じたが、手荒な線描がどう解釈されたか、つまり一般の人にどう伝わったかが示されていて、面白い。

ブラマンク風だと、こうなる。

今度は構図や配置など形を考えさせてみよう。

路地裏人生

近隣をスケッチしていた。名残の蚊に邪魔されて、落ち着いて、ゆっくり描けなかったが、それもまた良し。

昔の畦道をうろついていたら、農家を建て増しした古い家屋の窓辺の棚に、木製の足型やテンの剥製が置かれていて、中を覗くと初老の男性が両手で何かを作っていた。医療関係の技師なのかと思ったが、隣室には頑丈なイーゼルが見えた。
同じ業界の人なのかもしれない。

好天の午後、日も差さない北向きの薄暗い部屋で、ひとり工作に集中している。
窓からは県道や高架を走るトラムが見えるだろうから、密室に篭っているのでもない。
こういう暮らしもいいなぁ。コチョコチョと何かを作りながら、自分の世界に浸って、でもちょっとだけ外界ともつながっている。
京都の家の改築プランにこういうのも要望するべきだなと、どんな形でそれが実現できるのかなと今考えている。

10月13日

ラジオ体操の始まる時間に眺望の良い坂道を下っている。いま日の出がその時間になるから朝日の光景が楽しい。

午前中にチラシの原稿裏面を仕上げた。20回目になる展示。あまり続けてきた実感はない。創立時からの二人の女性がとても有能なので、気楽にやってこれたのだ。子供の時から女性運は良い。

午後、街中まで自転車で。昨年に見て感銘を受けた神田真理という方の個展。今回は俳句のような詩が添えられている。この言葉のおかげで、じっくり鑑賞できた。

歳時記にも載っていないような見聞きしたことのない言葉の由来を問うたら、AIで古い言葉に変換しているのだという。消え入るようにか細い女性だが、なかなかのデジタルオタクみたいだ。

帰路、小雨が降ってきたので川土手の大樹の陰で雨宿りする。

「黒い雲が近づいていて雨が降りそうだ夕暮れも近づいてくるが早く帰りたい気持ちとこの怪しい風景を楽しみたい気持ちが絡んでいる。」そんな気持ちを抱いたので、帰宅後にその言葉をAIで古典調に変換してみた。

「黒雲たちこめ、今にも雨降り出でむ気色なり。夕暮れも近づきぬれば、いそぎ帰らまほしき心と、このあやしき空の眺めを楽しみたき心と、あひ交じりて、いずれとも定めがたし。」こう来た。

もっと簡潔にと注文すると「黒雲迫り、雨の気色。暮れゆく空の、名残惜し。」

やるもんだ。

ついでに村上春樹と要望したら

「黒い雲が近づいていた。雨が降るのだろうと思った。夕暮れも近かった。

帰ろうと思えば帰れた。でも、もう少しここにいたい気もした。雲の形や、風の向きや、遠くの景色が、何かを語りかけているように見えたからだ。

もちろん、雲は何も語らない。少なくとも、僕にはそう思えた。」

これには参ったな。

 

カセット

カセットテープ180本を処分した。未練はあるが再生機器が無くなった。音は頭の中にしっかり残っている。

しかし、本棚の背表紙で中身を思い出す習慣に染まった世代の人間は不安である。

今やほとんどがネットで聴取できる。動画も見られる。

家族写真もアルバムからネットに移行している。

現物を所有することから情報へ。写真もチケットも。

でも記憶をつなぎとめるのは何か?絶え間ないスマホへのアクセスなのか、冷蔵庫に貼られたメモなのか?

それで手帳の売り上げを調べてみると、伸びている。さらに調べれば世間の動向が見えてくるのだろうけど、そんなことはどうでもいい。

自分はどうなのか?

近々に本の選別も必要になる。少なくとも半分は削減だ。

衣料品も・・・ボロいスポーツウェアばかり着ていてスーツはほとんど袖を通していない。使わないものは捨てる方針では無理がある。これからの人生のイメージ、なかなか描けない。

 

 

ピアノとドングリ

10月の9日、新しいピアノが届いた。修復不可能とわかったときに直ぐにでも注文したかったのだが、新しい機種では色が何通りもあって、それで迷っていた。ピアノだから黒が無難だし部屋にもマッチする。でもその無難さが面白くない。真っ赤な色もあって、これに食指が動いたけれど、この色でバッハやモーツァルトって外れすぎているようにも思うし、俺はあまりポップで軽快な曲を弾かないからこれはない。白にベージュを合わせた機種、スーパーカブもこの色だし、服装の色の基本でもある。届いたピアノを部屋に置いてみて良い選択だったと得心した。

その日の午後に孫がやってきて、新しいピアノの上で、どんぐりのコマを回したから、ひどく叱ってやったというより怒った。

そのどんぐりのコマだけど、これがなかなか面白い。つまようじを差し込むだけで、簡単に作れる。細長いのからふとっちょまでいろんなドングリが近所の山道に落ちていて、先端の尖った微妙な起伏が、予測の付かない結果を生む。

ドングリのコマ、実は初めての体験だ。初めての事っていっぱいある。こういう刺激に活気づけられるが、年末の展示に向けての作品制作や広報物の作成作業がテンションを与えてくれる。

その間にもテニスは入る。湿布のおかげで普通にプレー出来ているが、股関節のトラブルはもう誤魔化せない。やっぱり年末には手術しかない。

筋肉はまだ回復できるからジョイントを修復しよう。