病院

最近は何処の病院も綺麗になって、それはそれで結構なことなのだが、旧世代の人間にとっては余りにもクリーンで平板な空間には違和感を持つ。
日赤原爆病院は新旧の建物がミックスしているので、あちこちに昭和末期のかけらが残っているが、戦後の安普請という風で、これを未来に残すべきだとは思えない。
それでも人間の生死を左右する場所に特有の陰気さ、憂鬱さが漂ってはいる。
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日赤といえば、子供の頃に行った東山の日赤で見た、血液が入った試験管の棚を思い出す。
重々しい階段とか狭苦しい病棟など、昔の病院は陰の気配が充満していた。
僕が見たときは使われていなくて取り壊される直前だった京大病院の平屋の病棟は、ロシアの農奴を連想させたし、鴨川沿いの府立病院病棟はヨーロッパ的な雰囲気があって、リルケの「マルテの手記」を読んだときに思い浮かべたものだ。
死の影、生の光、そのくっきりしたコントラストは、すでに僕の世代でも失われているし、病院はできるだけ快適にするべきだと、6,7回は入院しているものとして断言できる。
しかしねえ、何とかならないものかな、学校建築と病院。

ということで昔のことを思い出すと、凄いところがたくさんあった。
一番よく行った病院は歯科だからいろいろ記憶している。
そのなかでも純和風歯科はビックリだった。所在は丸太町の鴨川畔、家からは遠いのだが、いい医者だというので親が薦めた。(世間で言う名医はほとんど当てにならないことは皆さんもご承知の通り。)
二階に診察室待合室があって座布団が並んでいる。ガラスの引き戸からは中庭の植木が眺められて・・絵に描きましょうか。
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座敷のど真ん中に火鉢。皆さん静かで、西日が射し込んでいた。
今にして思うと信じられない光景だった。
他にもいっぱいそんな記憶がある。前向きなことが出来にくい時は、そんな過去を再生してみよう。