朝から刻々と表情を変える根子岳。36年ぶりにこの山を描きながら時間を感じ取ろうとするがピンと来ない。やっぱり今があるだけなんかなあ。
阿蘇山は描いたことがなかった。フォルムとして掴みにくいというか、人間と関係ない原初の風景だからか。
噴火の危険があり立ち入り禁止だった中岳火口付近。ここを絵に描こうという人は少ないだろう。
熊本平野から雲仙までが眺望できる。この一帯が大地震に見舞われたのか。
唐突に幾何的な米塚。いまならプリンと呼ばれるだろう。
このルート、昔、サイクリング部に付き合って登ったことがある。600mもの高低差を登りきる体力があった。ずっと足元の雑草を見つめてペダルをこいでいた。
大地震で倒壊し昨年末に再建された阿蘇神社楼門。8年近くかかった。さりげなく鉄の円柱などで補強されている。
重厚な三つの神殿。艶やかな北野天神を思い浮かべて比べてみる。
外輪山を登り、やまなみハイウェイへ。
瀬の本、小国など懐かしい地名が続く。この辺りも自転車で走っているのだが、それがいつ頃だったのか、どんなコースだったのか思い出せない。
写真の整理、そろそろやっておかないと。
瀬の本のユースはまだやっている。2回、そこに泊まっているはずだ。
牧ノ戸峠のパーキングは登山者の車がいっぱいだった。洗面所には「登山靴を洗わないでください」と注意書きがある。
伊勢の大王崎では「絵具を洗わないでください」とあった。
峠の標高は1300mあるから九重連山に登るのも無理ではないと思われるが、「かなりのアップダウンがあって楽ではない」と中年男性が博多訛りで話してくれた。
長者原と三俣山。スケッチ旅行では定番のポイントだから、この山も描いているはず。
ここは山に登りたくなる魅力が溢れるゾーンだ。
スケッチ旅行でもいつも一緒だった先輩教員のHさんは地味で堅物だったが、この「坊がつる讃歌」が好きで宿の酒宴で時々歌っていた。
音信不通だが噂ではあまり幸福そうでない。この歌詞のような時を持ってほしい。
道の駅湯布院でもらったチラシに鏝絵の里、安心院(あじむ)とあった。伊豆に名人が居たことを読んだ覚えがある。つげ義春の漫画だった。
酒屋の壁のポップな鏝絵。奥の工場で酒を造っていた兄さんに声をかけて店を開けてもらう。
女房の目当ては大きな招き猫。手作りでボケた表情がいい。ここで清酒、双葉山を買った。どんな味がするかな?
宇佐神宮には西参道から入ったので、このユニークな橋が見られたし、パーキングも無料だった。正面の浅薄な印象が記憶にあり、ここはパスしてもいいなと考えていたのだが、深い森の中のしっかりした神社だった。
天皇のルーツは韓国で新羅高句麗に追われて東へ逃げてきた。その恐怖心から北九州からさらに東へと進んだ。そう俺は考えているから宇佐のロケーションは納得できる。
民衆支配のための仏教。神仏習合が国東の文化を生む。
見どころの多い神社だったが、帰路を急ぐ。
フェリー乗り場に近い長崎鼻でお弁当を食べる。花とアートで企画されている公園。
菜の花は終わっていてパーキングは我々の車だけ。
突端には神をまつる洞窟があり、そこに差し込む夕日を撮影するというオッサンの話にひかれたが、出港の時間は近い。
「不均質な自然と人の美術館」 奇妙な名前の建築だがメディア芸術祭大賞を得ている。休館日だったけど長男の奥さんが喜びそうだねと話していたが、帰宅してから調べたら何と長男が制作スタッフで参加していた。
周防灘の夕焼け。海のプロッシャンブルーが美しい。
半世紀以上も前、船の上から海を眺めながら語り合った記憶が蘇る。
この3日間、なかなかにセンチメンタル・ジャーニーだった。