臼杵から阿蘇へ

別府から臼杵向かうとき、そのルート選択に迷った。通勤時間帯に県庁大分を通り抜けるのだから混むだろう。でも高速は通りたくない。金を払って画一的な風景を走るなんて御免だ。

選択した海岸沿いのバイパスは片側3車線で中央に楠の並木があり、海寄りには工場を隠すように分厚い森が延々と続く。

臼杵への国道も見苦しい看板が無く快適に流れる。

殿様の転封に従って岐阜の可児から移ってきたという醤油屋でカニの名の由来を聞いた。煮物用の醤油にロバート・デニーロとか名付けるふざけた店。

陶製の犬と本物が並んで座っていた。

凝灰岩を削って道を通したという二王座を歩く。

マンガで知りストリートビューで確認。大好きな古い町並み。

かわいい城跡も覗いておく。

町から数キロの穏やかな丘に石仏群がある。

のっけからハイレベルな彫像に圧倒される。

4か所ほどに分かれた石仏はそれぞれ異なった表現で見比べるのも楽しい。

山王山石仏。素朴さと格調のバランスが気に入って、線香をあげる。

亡くなった知り合いの顔を思い浮かべて成仏を祈った。

中央の大日如来の頭部は昔、地面に落ちていた。

ほとんど記憶になかったのだが、俺は46年前にここに来ている。テニスで一緒しているNさんがスマホに入れた写真を見せてくれた。11期生の学生たちと俺が地面に置かれた仏頭の前に並んでいた。

石仏から西へ車を走らせ、竹田の町で見た断崖からの流水。鉄道駅の真裏だ。

この町には53年前に立ち寄ったことがある。

阿蘇の高原からヒッチハイクで来た。ナイフを買おうとして婆さんに勧められたのが安っぽい緑の樹脂グリップで、年寄にはこれが美しく感じられるのかと驚いて、結局それを買ってしまった。今も手元にある。

この駅から熊本方面の列車に乗った。

若い女性が前の席に座ってきて、たぶんあちらから話しかけられたと思うが、熊本まで会話は続いた。駅前で女性が腹痛を訴え、俺は困惑していたが共通の目的地だった天草へのバスに乗り途中で女性は下車した。

俺は誘惑されていたのかもしれないが、まだ20歳でうぶだった。

天草と女性ではもう一つ思い出がある。その翌日だったか海岸で野宿しようと歩いていたら、トンネルの前で若い女性が「怪しい人がいて怖いから一緒に」と頼んできた。

その人の家まで送ったら、そこの母さんが泊って行けという。

通された2階は戸がすべて外してあって素通し。漁師町でどの家も2階は丸見えだ。布団の上にテント式の蚊帳が置かれている。

翌朝、目覚めるとバナナの葉の間から朝餉の煙が登っていて、南国の楽園にいるようだった。今でもあれは夢だったのじゃないかと思えてくる。

牛深という町だった。

阿蘇の宿は「民宿きん」。宿泊客は我々だけで貸し切り。正面に根子岳。遮るものは何もない。牛小屋が2つあるだけだ。

職場での阿蘇スケッチ旅行は10年以上続いて、そのほとんどに参加したから、この根子岳の異様な形はすっかり馴染んでいる。

この風景を女房にも見せたいと阿蘇のコースを選んだ。

久々に描いてみたけど、人類に無関係な景観に俺は自然を感じられない。凄いなあ、と思うけど月世界や恐竜世界だ。モロッコアトラス山脈に通じる所がある。

このスケッチ旅行を主導していたT先生の心には何が在ったのかな?

都の下人として育った俺にはわからない。

近隣の白川水源。小綺麗になってしまったな。

ヤマメの揚げ物や赤牛など熱々のご馳走。凄く美味しい。

この民宿の成り立ちなどを隣のオッサンから聞いた。車が同じシエンタのレモンイエローだったのと広島からの移住ということでいろいろ雑談した。

いろんな人生があるもんだなあ。