原爆投下 70年

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半年ぶりのCT検査。8月6日だから交通規制を警戒して早めに出かける。
この日はいつものように晴れ。広島城のあたりから流れが悪くなった。
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まだ7時になっていないのに式典会場へ向かう人で平和大通りは混んでいた。
採血を済ませCTを待ってホールに行くと、深々と頭を下げている人や手を合わせている老人など、時計を見ると8時15分だ。
ここは赤十字原爆病院、空気が違う。慌てて帽子を取り黙祷する。
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会計を終えたら9時。爆心地だった周囲を、この日に少し見ておこうと付近を歩いた。
向かいの血液センター前は被爆した赤十字病院の一部が慰霊碑として残されている。
ここでも先ほどまで式典が開かれていたようだ。
昭和21年看護学校卒業生の花束が目を引いた。
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医師や看護婦にも死傷者を出しながら治療にあたったという記録が書かれている。
この4年間、お世話になった病院での出来事だけに胸に響く。
これまで何かというと原爆が出てくることを疎ましく感じていたのだが、40年近く住んで初めて理解した感覚だ。
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近日にオープンする日赤の新館。
70年という時間の中で、焼け野原の光景は完全に消え去ったが、70年後、想像もできない廃墟になっているという可能性も確実に存在する。
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鷹野橋から紙屋町方面を見る。
変化したのは風景だけではないが、自分の変化が外観でしか自覚できないように、在りかた、考え方などの変化を認識するのは難しい。それだから世代交代が必要なのだろう。
今日は次男の誕生日、34歳になった。
年末に生まれる孫は男の子だと帰路に知る。
検査の結果や職場の未来など気がかりなことはたくさんあるが、そういう重苦しさが一挙に溶けて晴々した嬉しさに包まれる。有り難いことです。