災害と思い出

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昨日は日赤病院(Atomic Bomb Surviver's Hospital)で平和式典の映像を見ながら検査と診察。
いつものように異常もなく半年後のCTを予約して帰る。
この日の午後は次男の一家が来訪予定だったが前日に奥さんが捻挫して歩けなくなった。
幸いにも実家での出来事だったから滞在を2週間延長することになり、息子だけが広島にやってきた。
彼は被災地でのボランティアを目的としていたからだ。
翌日、次男が海田方面に出かけて行ったので、俺も気になっていた深川や狩留家を見ておこうとバイクに乗った。
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下深川まで走っている芸備線
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崩壊した上深川旧道の橋。
この辺りにニュージーランド人のマーリー一家が住んでいて、我が家の子供達と一緒に向こうの河原で水遊びやバーベキューで遊んだものだったが・・・・
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すぐ下手の鉄道橋でレールの歪みを直している保線区の人たち。
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狩留家のはずれにあった水色の可愛い吊り橋は対岸の支柱が川に落ちてしまった。
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崩壊した芸備線の鉄道橋。
何度も映像で見た光景だが、実際に見ると根元の奥までえぐれたようになっていて、末期的な自分の歯を連想してしまう。
これを再建して路線を復活させるかどうか、怪しい。廃線を提案するシンボルになりそうだ。
他人事ではないぞ。
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しっかりした護岸で落ち着いた風景を作っていた三田小学校前の三篠川
これをグーグルのストリートビューで比べてみたら
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手前側の住宅にも土砂が流れ込んでいて数軒は放置されてる。もともと空き家だったのかな。
一ヶ月が経とうとしているのに復旧の目処もつかない場所が多い。
広島で一番慣れ親しんだ県道37号沿いには、いろんな光景や人々の思い出が連なっている。
それらが壊されて過去の縁が微塵も残らないニュートラルなゾーンに変わっていく。
幸福は追憶の中にしか見つけられないのか。