未来予想図

「これから先、どうやっていこうか?」という、世界中で行われているテーマでの会議を職場でやってきて、遅めの食事の後、ほろ酔い加減でテレビを見た。
まだトランプは沈没していないし韓国大統領が涙の謝罪演技、スーチーさんはフリーダ・カーロみたいで、黒田は胸を張って引退会見、と流していたら、新宿の巨大画材店のドキュメントで眼が止まった。
以前にも銀座の老舗画材店の店じまいを聞いていたし、広島市内の画材店の寂しい店内も見ている。
だから、天王洲にオープンした画材店の規模に驚いたことは、ここにも書いた。
番組では買い物客へのインタビューで、彼らの多彩な表現を紹介していて、さすがに東京なんだけど、皆がスマホでさっと自作を見せるのも面白かった。
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会議での発言を聞いていると、個人的体験ー普段の付き合いや生活、見聞する範囲などが世界観を作っていて、それはなかなか噛み合わないものだなと感じる。
翻って自分を作って来たものは何かなと考えてみるが、これはけっこう難しい。
それで自分史みたいなものが作られるんだろうけど、そんなに遡らなくても例えば、いま土曜日の午前で俺はいつもピータ・バラカンからゴンチチに続くラジオ番組を聞いていて、こういうことが思想とは言えないまでも「こう思います」というものを作っている。
昨日見たテレビからも、格差の増大や地方の枯渇といったことが頭の中に浮かんで来ている。

昔の職場はスタッフが共に過ごして雑談する事が多くて、それで自然と世界観を共有する事になっていたようだ。もちろんそのマイナス面も少なくなかったが気楽で安心できる空気はあった。
つまり家庭的と言う事ね。

「これから先、どうやっていこうか?」という疑問だけど、おそらく現実の方が先に行ってしまって、その後を追うという事になりそうだな。
意志とか意欲がないと前には行けない。結論は生命力ですね。