表現と技術 3D

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こういう模様の平面を、折り畳んでいくという動画やら、炎、煙、水しぶきなどを3Dで生成させる事ができる。
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これって創作と言えるのだろうか?
誰かが設計したプログラムの産物、あるいは勝手にできたものを選択しているだけなのかも。
コンピュータはカメラのような道具とは違う。
「踊らされているんじゃないか、使われているのでは?」という疑念が常につきまとう。
コンピュータの性能が向上するに連れて学習内容も増加して来るし、それが一人の人間が生涯で学びきれない量になって来ているようにも感じる。
実際に分業で制作される事が多いのだが、発想は作業の途中での脱線や失敗から生まれるものだから技術の学習と切り離せない。
3D技術に精通していても美的センスが欠如しているケース。これは絵画でも良くある事だな。特にこの100年間を見たとき、再現技術で高い評価を得ている人は居ないから、電子テクノロジーだけでなく一般的な問題なんだ。
ということで、色と形、その配置、(平面なら)構図。そこに帰着するのか。
(現代美術ではその前にコンセプトを優先させるが、それは好みではない。)
60歳代から始めた3次元ソフト。最先端はとんでもない次元に到達しているが、そのベースはこれからの時代を作る基本になるだろう。日用品から建築までこの技術を基盤に企画され造形される。
それは俺の予感じゃなくて、既に現実だ。
それだからやっているのではない。本当におもしろいからだ。
知らない事、始めての事ってやっぱりフレッシュだ。
でも、時々は「これでいいのかな?」って感じる。そしてこの文章の先頭に戻って思考が循環する。
ポーンと飛べないところが歳かな。