3次元

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身の程知らずも甚だしいが2年前から「デジタルメディア論」を担当している。もちろん数理的な分野を教えることは出来ないからそこは他学科の先生にお願いして、俺は美術領域とCGを受け持っている。
その中の3次元領域の学習でShadeという専用ソフトを今年から使うことになった。
最近になって操作法を学習するというまさに付け焼刃であるが、基本的な流れを辿ってみて、これが忠実に西洋美術理論をデジタル化したものであることにいたく感心させられた。
石膏デッサンを学ぶ時のポイントである透視図法、「面」の捉え方、光、明暗などが体系的に理論化されていたことを今頃になってCGから知らされる。ちょっと奇妙な感じだ。
ルネッサンス時代の美術はもっと技術的なもので、近代以降の「表現」とか「芸術」とはずいぶん違ったものだったことは美術史でも学んだが、それがリアルに実感できるのだ。
レオナルドやミケランジェロが衣服のデザインから大聖堂の設計まで(最高のレベルで)こなせたことは驚異だが、芸術家は理系のテクニカルなことが苦手だという暗黙の前提が余計に驚きの度合いを強くしているように思えてくる。
美術の世界でデジタル物をやっていると異端視というか軽侮の眼差しを感じさせられるし、芸術家にとってデジタル物は対極にあって、それを扱えないことは当然どころか誇らしいことであるというような発言をしばしば聞く。
もちろん俺もかつてはそのように考えていたし、その気持ちはわかるけど、科学や技術から遠ざかった「芸術」がどこか歪んだものかもしれないなと近頃は感じ始めている。
じわじわと教育の中で隅っこに追いやられている背景には、実用性ばかり求める風潮ばかりでなく、こういう時代とのズレも存在しているだろう。
(芸術という言葉が近代の産物ですからね。)
それにしても3次元ソフトの、ツールと調整スライダーの多さにウンザリさせられる。
「ここまでやる必要があるのか?」と疑問を抱くが、ホルバインが描いた超精密な油彩画を思い出すと「なるほど、そこまでやらなくちゃな」とも思う。実際にホルバインの制作作業はCGのようにシステマチックでクールなものだったのではないだろうか。
もちろんこのデジタル造形には賞賛と同量のネガティブな面も感じているのだが、まあ驚かされますね、この性能と1万円以下という価格には。進歩という今では古風な言葉を久々に思い出しました。