崩壊する昭和

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朝のバンコックみたいだけど、タカノ橋の雑居ビル。
もうすぐに取り壊されてしまうサロンシネマが入るビルの隣だ。
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こちらはその映画館へと登る急な階段、入り組んだ店舗もほとんどが空き部屋になっている。
よくここまでやってこれたもんだ。
初めて来たころと基本は変わっていない。当時も感じた安っぽい印象。それは職場とも共通するものだった。
昭和は建築にとって魅力的な時代ではない。戦前戦後ともに欠乏不足を前提に、とりあえず凌ぐという、その場しのぎで理想や品質を感じさせるものが少ない。
古いものを消された広島市内を歩いていると、胸の中で空虚感が拡がる。この時代を作ったのは我々であり、チープに朽ちていく我々そのものの姿だ。
保存の値打ちはないけれど、この世代が生きた証ではある。
昭和に取って代わった「新時代」は全く手仕事の痕跡もない大量生産のユニットで、機能の向上は確かなのだが、愛着のかけらも感じさせない代物だ。
そんな画一性で埋め尽くされる近未来は我々世代にとっては一種の地獄になるだろう。
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さて先日も触れたこの映画、60年代のNYとは行かないけれど、この映画をシネコンでは見たくない。
ここしかない。
閉館への花束になった名作。
吸い込まれるように、またまた行ってきました。
どの部分も素晴らしい。言葉、空気、すべてに痺れてしまう。
もう1回、見に行きそうだな。