さようなら青春

県北の高校へ「美術系への進路」について話しに行く。
真面目に準備していったのが逆効果だったのか、退屈なお説教になってしまった。学生が制作した漫画による美術科紹介ブックを配布できたことだけが成果かな。
それと高速を一人で走っても心配ないことが確認できたこと。

帰宅すると高校時代の友人が3月に死去していたことを知らせる葉書が着いていた。
体育館裏の階段でギターを弾いて歌ったこと、卒業後に同じ絵画研究所に通った時にのことなど、思い出す。
イメージ 2
彼はいつも麦わら帽子、黒のヤッケ(フード付きのウィンドブレーカー)古いジーンズ(夏用に膝あたりで切ったものを冬は縫い戻してはいていた。)板前が厨房で履く高下駄というバンカラスタイルで、荷物運搬用のごつい自転車に乗っていた。これで全力疾走するので白バイに「あまり頑張るなよ」と諭されたことがある。
イメージ 1
龍谷大学の裏庭で、銀杏の黄葉を油絵の具で描いた。あの時の黄色だけが記憶に鮮やかだ。
彼は紆余曲折を経て大阪の繊維関係に就職した。二人の娘を得て大津に住んだ。
10年ほど前に営業で広島に来たときに大学で会った時は、平凡に幸せそうだったが・・・・・・
急死とのことだが、どんな状況だったのだろう?
彼とは一緒にバカなことを沢山やった。青春という時代が俺にもあったのだ。
さようならマサハル。