一日中、強い風が吹いていた。

ちょっと山登りでもしようと思っていたけど、強風の中を散歩するには侘びしすぎるので、ずっと机の前に座っていた。こんな時間は久々だ。
来週は高校へ「美術を学ぶこと、美術で働くこと」について話に行くので、ネットで美術と仕事、就職をたらたらと見る。
就職できないのではなく、就職しない人が多いということだが、その中身はわからない。いったいどうやって生活しているのか?
僕が卒業した頃は、ファインアート系はほとんど中学や高校の先生になった。まだ学校では美術の時間がしっかり確保されていたから求人もあった。それに関西地方の美術教員は大半が僕の大学の出身者。なにしろ美術大学近畿地方に一つしかなかったのだから。それも毎年の卒業生が100人もいないという小さな大学だった。
あれから美術大学が幾つも出来て、反対に教職の道は狭くなっていった。友禅などの地場産業も海外に生産拠点が移って手仕事がなくなった。
工業デザインや広告、情報デザイン、映像、WEBなど新規、拡大した分野もあるが、素朴に絵を描くことで生活するのは難しくなっている。
飢え死にする人はいないけど、子どもを育てるのは無理だろう。
それでも哲学を学んだり現代音楽を作曲するよりは若干マシなんだろうけど。
そう思うと最近、世間を騒がせた「現代のベートーヴェン」は、ある意味で快挙だな。
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商業音楽の世界では常套的に行われていたことをクラシック音楽界でやっただけ。軽い演技で罪悪感は無かったのでは?日展審査で金が動いているなんて今頃なんで騒ぐのか、当たり前じゃん、というのと同じ感覚で。教育までもがビジネスをモデルにしているこの頃だ。
テレビは常日頃から勝手なドラマを捏造しているし、美術展の鑑賞者は絵を見るより解説を読む時間の方が長い。ベートーヴェンの聴衆はほとんど寝てる。芸術なんて・・・・
まあ、ちょっとやり過ぎたのだろうけど、ベートーヴェンが偉いということになったのも巧妙な世論操作の結果だから。
もう一度、自分の耳で聴くしかないので問題の作品は販売を継続すべきだろう。

バッハやモーツアルトで感心するのは、ものすごく下手に演奏しても一番大切なものは味わえる(ひょっとしたら伝わる)ことだ。
それを美術で言うならモザイク。ラヴェンナのモザイク、また見たいな。
あれからもう4年も経ったのだ。