記憶の京都2 樽屋

歯科医の記憶に始まって、少年期の記憶を絵と文章で再生しているが、こういう昔語りはもっと老け込んでからやろうと考えていた。
けれど、こんなに荒っぽい描き方、書き方でも相当に時間と労力を使う。
これより上質なものを作る事が出来るかどうか、どれだけの時間が残されているのかもわからない。
時々女房に話すぐらいで息子達も知らない、別世界のように遙か彼方の出来事を、孫のためにも、もう少し描き留めておこう。

京都の下町にはまだ昔の風景も残っているが、昔ながらの職業はほとんど失われてしまった。
大工町、紺屋町、金替町、といったように職名が町名になっている所が沢山あるが、実際にそのような店が残っていることは少ない。
実家は南八百屋町だが昔から付近に八百屋はない。
隣の町内は樽屋町だけど樽屋はない。しかし、樽屋町でないところに樽屋があった。

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樽は板を接ぎ合わせて円形にしたものを編んだ竹で締め付けている。これがタガ、あの、はずれたり、緩んだり、締めたりするタガですね。桶や樽から生まれた比喩なんですが、もう死語かな?
酒樽ほどに大きなものになると5,6m以上の長い竹のタガが必要になるが、これは屋内では作れないから路上での作業になる。
竹を割り整えて、細長く揃えた竹の束をしならせて振り回すと、生き物のように跳ね回る。均質性をチェックすると共に曲がりのクセを取っていたのかもしれない。
竹が擦れ合い地面を打つ音もリズミカルで、なかなかのショータイム。
職人も楽しそう。
イケズな婆さんが出てきて「チョロ松!いつまでやってんねや」と小言を言ったなんてことがあったかもね。

室内でやれない職人仕事は家の前の路上で行われていたから、行き場のない子供には最高の暇つぶしと学習の機会になっていたのですね。
いろいろ見たものです。

紹介していきたいけどリアリズムは手間がかかるから、こんなのでもいいのでは?
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これでも20分はかかっているけど、思えばリアルな漫画を描いている人達、終日、机の前から離れられない。とても真似できません。