招き猫

市内のデパートで「招き猫博覧会」が開かれている。先日の「猫まみれ」に続いてのB級グルメ。
画像検索すればその全容がほぼうかがい知れるので興味のある方はどうぞ。
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我が家の玄関には5匹のネコ像が置いてある。先日に触れたビスコンティ映画の教授宅は油絵と彫刻が多数あって生活に馴染んでいた。
ローマの中心にある部屋で老教授と美青年が「美術史」について語り合う。
田舎町の外れでカープを話題にしている我々にとって彼等は異星人である。
西欧文化=芸術とは無縁な我々が造形を語りあえるとしたら招き猫のようなものしかないだろう。
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展示物でいいなあ、と思えるものは極めて少ない。これは古瀬戸の逸品。
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バリ島のネコは飛んでるけど、この島のものも80%はつまらない。

現代に近づくほど招き猫は魅力が無くなっている。江戸末期に浅草で生まれ、全国に拡がって行く中で堕落していった招き猫。たいそうに言うと「民衆美術における造形力の衰微」とでもなるだろうか。
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これは我が家のコレクションで、正月に東寺の古道具市でかったもの。多治見製の豪徳寺型と今回の展覧会で判明したのだが、これのヒゲの描写にご注目。これほど伸びやかな筆致は滅多に見られない。
サッササッサと職人が手仕事で描き流していた「古き佳き日」の日常品。
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これは東寺の骨董市で購入した我が家の宝である。有田か伊万里のものだろうと現地で探してみたが、似たようなものは見つけられなかった。
今回の展覧会で瀬戸のあたりかもしれないと感じたのだが、まとまったフォルム、絶妙の配色、品格ある表情は数十万円以上の価値があると確信する。災害時に持って逃げるNo1に認定しよう。
新しい製品の大半が「造形の欠如」であり、やたらと笑顔で媚びていてガッカリさせられた。
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帰宅後、みしんを取り出して針仕事。女房よりも得意というか、スラッと仕事にかかれる。
仕立屋の生まれ育ちは根深いものがありますな。