記憶の中の京都

龍谷大学大宮学舎の前は広場になっていて正面の大きな門の向こう側には西本願寺の広大な書院があり、右手には国宝唐門、さらに右奥の壁の向こうに飛雲閣がある。
これら日本建築群に対峙して左手には龍谷大の洋風建築があるという不思議な空間なのだが、主に右手の風景を使って、巨大な玄関門の向こうに大書院という構図で時代劇のロケがしばしば行われていた。
お姫様が立派な駕籠にゆられて到着され、御殿の中へしずしずと入っていかれるという全くドラマチックではないシーンが何度も撮影される。どうしてあれほど撮り直すのか納得できず、見ているだけでも退屈になる。
「映画って大変なんだから・・・見に来てよね。」その時にスタッフの一人が言った言葉が忘れられない。
当時の時代劇を見直すと実に丁寧に作られていたことに気づくだろう。数分のシーンのために多くの人間と機材を使って丸一日を費やす。あれほどの「無駄」と職人的な執念が、いま可能だろうか?
さてさて、
舗装路が少なかった当時にあって、この広場は昔からコンクリート舗装されていた。そこにローラースケートが好きな小学校から中学ぐらいまでの少年たちが学区を越えて集まり、ホッケーの真似事をしたり、ぶっ飛ばしたりジャンプしたりとワイルドに遊んでいた。
それを俯瞰図で描くとブリューゲルの絵のようになるかもしれないが、毎度のように描き殴りで御免。

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スケートは四輪が主流で、靴の上からベルトで締める。稀にアイススケートのような直列三輪もあり、これは憧れの的だったな。ホイールは金属製だから走るとかなりの騒音が出る。ベアリングが走りを左右するので分解してグリスアップしているマニアもいた。高級機でないとそんな手入れもできない。もちろんこちらは低級機。
自作した木製のフレームに戸車をつけてソリのように遊んでいる子供も居た。スケートが買えなかったのか。
映画「マイレフトフット」で炭鉱町の子供達が遊ぶシーンがあり、そこで障害者の主人公が乗っていたのが全く同じタイプだったから、原型は英国渡来なのかもしれない。
本願寺の掘割りめがけて際どいブレーキ技術を競っているガキどもが路面に残したブレーキゴムの赤い痕跡。薄暗くなった空に舞うコウモリの群れ。描いているといろいろ思い出してくる。
スケッチの画面右手の家屋は、広場をL字型に囲む馬屋で、雨の日はここでビー玉遊びなどに興じていた。
広場の入り口にはレンガ造りビクトリア風の可愛い交番があり、これは後に明治村に移転されたのだが、ここにも和風洋風がさりげなく併存していた。
七条堀川近くの実家周辺には今も洋館がたくさん残っている。
その中でも龍谷大学の正門はとても素晴らしいものなので、是非とも見てください。
このサイトがいいかな?