小さな小さな靴屋さん

龍谷大学の始業はカランコロンという可愛い鐘の音が告げていた。
守衛さんが部屋の中から紐を引くと、柱の上に置かれた鐘が鳴る。
小さな守衛室(今では重要文化財になっている。)の向い側に大きな銀杏の木があって、その太い幹にへばりついて、宮殿を守る衛兵のボックスみたいに、一人の人間がやっと入るぐらいの小さな家型のものが立っていた。

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なんと、それは靴屋さんだった。
銀杏の幹と一体化して白っぽい塗色もあらかた剥げ落ちていたから、それはまるで別世界への入り口のようにも見えた。
当時の龍谷大学はとても小さな大学だったから学生の姿もあまり見かけない。そんなところで営業が成り立っていたとは思えないが、街頭の靴磨きがあった時代のことだ。雨露をしのげる屋根と屋根があるだけでも恵まれていたのかもしれない。
靴底に鋲を打ったり張り替えたりして大事に靴を使っていた最後の時代だった。
まだ、近辺にも靴屋があって、ガラス窓越しに、ゴツゴツとした真っ黒の手で皮を加工して靴を作る職人の作業を見ることが出来た。
それはピノキオのジュゼッペ爺さんの姿そのもの。
ピノキオの日本出版は1920年。それほど昔じゃなかったんだな。)
その靴屋の隣は帽子屋で、僕の父は靴も帽子もそこで作っていたから木型が店には保管されてた。19世紀がまだ生き残っていた。
しかし、仕立屋だった僕の父を含め、これらの職種はその先10年間で消えていくことになる。父も苦労したし、我々子供達は「職人になるな」と言われて成長し、誰も職人にならなかった。

それはともかく、洒落たキャンパスで四季の移ろいを眺めながら、ボックスに座っているのも悪くなさそうだなあ。(3日ぐらいなら)
もちろん生活は厳しかったはずだが、こういう生き方があったということは覚えておきたいし、この「最小限の隠れ家」憧れますね。