記憶の京都3 街頭書家

職人仕事の思い出と言っても、学校の行き帰りに毎日見ていたものもあれば、今からお話しするように、見物したのは一度だけだけれど深く印象に残っているものもある。
その人は看板屋だったのだろうか。路上に床几を2台並べて、大きな白木の板を載せたところに、通りかかったのだった。

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すでに子供たちが集まって来ていたから、仕事が始まるのを待っていたのもしれない。
そこに墨汁がなみなみと入った丼鉢を左手に、右手には大きな筆を持ったオッサンが家から出てきて、板の上に腰掛けたかとおもうと、いきなりグイグイと書き始めた。レイアウトの下書きも無しの一発勝負。小学校の低学年には読めないような漢字だった。
その頃は儀式の看板として板に墨書が使われていた。歌舞伎の顔見世では今でも南座に勘亭流の看板ががずらりと並ぶ。あんなものだったな。
その種の仕事をしていた人だったのだろう。見事な筆裁きであっという間に仕事は終わった。
世の中にはすごい人が居るものだと、いま思い出しても感心してしまう。