ケントリッジ

イメージ 1

雨が降り続く。
ムクドリ南天の実を食べつくしてしまった。
ヴィヴァルディを聴きながら、机の前の窓から鳥の姿を眺めている。
5枚組みのボックスセットを一気に聴くなんて、近代のクラシック音楽では不可能だ。
どうしてあんなに「難しいもの」になってしまったのだろう?
リズム、緩急、甘さ、これ見よがしの技巧の誇示、哀愁、そして爽快感。
以前から好きだったけど(よほどのスノッブでもなければヴィヴァルディを嫌いになれない)、ベネチアで聴いてきた余韻も共に楽しんでいる。
ロンドンでのヘンデルフィレンツェでのパイプオルガンと旅先でのコンサートは深く印象に残る。

さて、先日、広島現代美術館で「ウィリアム・ケントリッジ展」を見た。
ほぼ同世代の作家で、木炭のドローイングでアニメーションを作るという手法。2月に東京近美でやっていたが、こちらで見たのは正解だった。鑑賞には少なくても2時間は必要だし、観客数も限定される。
俺も2年前にドローイングで短いアニメーションを作った。
素描が動くという表現力の強烈さに自分でもビビッたほどだった。
ケントリッジ氏はその力を時代と状況の表現に活かした作品をたくさん制作している。

自分と同じようなアイデアで、かつはるかに堅固な作品を見て、その度に自分自身の粘りや持続力の欠如に情けない思いを抱いたりする。そんな思いがこれまで何度あったことだろう。
ま、「作る人間」は常に自分を尺度にする。
さすがにミケランジェロやカラバッジョには敬服させられるけど、そうそう天才扱いして自分とは無関係な存在として語ることはしないはずだ。

わたくしも、まだまだ元気という事で、とても刺激された。