竹ノ内

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断片の集積からフウッと絵が浮かび上がる。
そんな時、われらは「なるほど!」とか「わかった」と合点する。
先日、奈良を訪れて、帰路大阪へ抜けようと竹ノ内街道の峠を越えたとき、そういう体験があった。
日本最古の官道とされるこの道からは堺までが一望できる。そこに今日、通ってきた当麻寺(たいまでら)、飛鳥、山野辺の道を結ぶと、古代の人と物の流れが見えてくる。
数年前に見た藤井寺の古墳群や富田林の立派な町並みも説明がつく。
大和川の流域が低湿地帯だったことを想像するといっそう納得できるだろう。
こんなことは歴史の本には何処にでも書いてあることかもしれないが、それこそ「単なる知識」であって知る喜びは得られない。僕はあまり歴史書を読まないし、知らないからこんなことに興奮するのだろう。だいいち、これは間違っているのかもしれないけど、旅行して現地に立つ、空間を感じることはワクワクすることだ。
お墓参りで実家に行ったついでに、いつものように息子にレンタカーを頼んで、女房、母と4人で出かけた。東大寺転害門(てがいもん)からは車のハンドルを握る。正月の伊勢志摩もそうだったが息子が隣に居ると何故か運転できる。崇神天皇陵に立ち寄ってから聖林寺(しょうりんじ)へ。
学生時代の美術史演習以来、30数年ぶりのご対面。さすがに美しい。
ギリシャ・ローマの彫像と並べても違和感がない、同じ美学で語ることができる仏像。フェノロサは驚いたし,日本人はすごい自信を得ただろう。これに法隆寺のエンタシスを持ち出して、ギリシャ文明の伝播と考えることには最近「?」が出されているが、実証を通り越してイタリアと奈良京都でそんな想像をしたくなるのも無理はない。
かなり不便なところなので車を使える時に寄りたいところが、この裏手にある談山神社(たんざん)。
予想では、こじんまりして薄暗い小さな神社だったが、実際はすごく大きくて立派なところ。その理由はHPを見ればわかるが、ここから急坂をくだると石舞台というのもリアルな日本史で、「へえー」とか「ほぉー」とか連発してしまう。
最後に当麻寺(たいまでら)でゆっくりして近畿道から名神へと高速で帰る。奈良は道路事情が悪いのでこのルート選択は正解だったはず。
この日だけは暖かくあちこちで桜も見られた。みんな満足、たのしい遠足でした。