雨の日は

雷鳴が轟き雨だれに包まれる豪雨のひと時は音を感じる最高のチャンスだ。
雨は日本人にとっての基本的な環境音でありビジュアルでもある。
特に視覚表現で、これほど雨にこだわっている民族は少ない。
眺めているだけなら雨はとても素晴らしい。
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雷が接近してきた。
コンピュータで制作している映像・アニメーションの実習を中断させる。
静電気などでマシンが破壊されることもあるからだ。鑑賞の時間に切り替えて、古いアニメーション(ベッティ・ブームなど)を見る。子供の時からベッティちゃんは怖かった。クレジットを見れば1930年代。よくこんな時代に細やかな動きを表していたものだ。
そのあと、先輩の制作物を鑑賞。
映像を始めて8年目になるが、その間で何人もの天才的な学生が驚くべき作品を残している。
全体的な統一にかけていてメッセージが自己内で縺れていたり、謙虚すぎる性格で外にアピールしていけないといった理由で、才能を活かせずくすぶっている卒業生が多いのは残念なことだ。
交渉力、自己管理、コミュニケーション、そういうビジネス能力が(とくに独立自営の)作家には必要だ。
2年という短い時間で幾つもの制作ができる人は、自分の中に強い動機をもっている。課題は楽々こなせるし、そのあとの数時間専念できる集中力(好きなんだろうな)にも恵まれている。
課題を嫌がり自分の好きなことをやらせてほしい、という学生はやりたいことが実は無い。
そこで教育の常套手段として強制、締め付けが行われている。学生の反発力を引き出そうという自覚があるならこれは悪い方法ではない。
大半の人間は強制を求めている。自分独自の道を切り開いて進みたいとは思っていない。ファシストが考えそうな理屈だが、美術の時間では「教える、教わる」なんて禁句なのだ。
そんな俺の話を聞く学生は、この時期就職活動に専念しなければならない。せめて、あと2年ぐらいはと望んでいるだろう。でも、人生は長い。まだこれから60年はある。いま実現レベルを上げておけば、じっくり登っていける。
この老人にもチャンスはもう一回あるんだよ、といったらみんなポカンとしていた。
あの世に行くことかと思ったのかもしれないな。