音楽の学習

大雨があがった夕方、周囲が乳濁したオレンジの光に包まれていた。
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この3年間ほどシンプルなバッハの楽曲を電子ピアノで辿りながら、繰り返し練習している。
楽譜は海外webサイトから入手。バッハですからね、何でもあります。
楽器店の本棚を手探りした時間も懐かしいけど、あの頃は法外に高く思えた。1曲だけのピース楽譜で500円以上もしたり。音楽関係は全体に高値設定だったから、アメリカで貧しい黒人が金のかからない音楽で身を立てようとする話が納得できなかった。
まあ、楽譜が高いかというと、以前に無伴奏チェロソナタにギターで挑戦した事があるのだが、何十年経っても弾き通せない。一生使って数千円、しかも長期の使用に耐えるように作ってあるから文句は言えない。
ただ、ゴールトベルクで手が出せるのはアリアと25番ぐらいだから、製本された物より様子見でダウンロードということになってしまう。
こういう変化が音楽業界に大きな影響を及ぼしているのだろうな。絵の具メーカーや画材が苦境にあるように。
もともとクラシック音楽は金持ちのお嬢様の形式的教養と位置付けられていて、鍵のかかったピアノにその閉鎖性が具現化されていた。あれは今でも嫌なものだが見事にクラシック関係者の排他性を象徴している。
多様性を理解できない人が教壇に立つのだから、音楽教育は支持を失い衰退していく。
ポップとの比較では美術も同様の問題を抱えているので、この話題はうっとおしいな。
それでも西欧古典音楽への憧れは持ち続けていた。これが全然分からないのは恥ずかしい。
クラシックを聴き始めたのは中年からで、安価に多様なCDが入手できるようになったからだ。今はガイドブックを傍らにYOUTUBEで曲を聴いている。
気に入った曲は電子ピアノ(すごく安価)で弾いてみる。
なんでも勉強しやすい時代になったものだ。

交響曲は滅多に聴かないけど音楽ソフトでスコアを入力するだけでも、いろんな音楽理論が理解しやすくなる。というか理論的な知識がないとソフトを使えない。
クラシック音楽が分かる若者は増えているはずだけどね。
あ、これも美術と同じ現象だ。
業界の将来を憂慮するなんて、やめとこう。