コピーライト


前回のBLOGで楽譜のことに触れたついでに幾つかのサイトを見てみた。
楽譜出版大手の全音さんも大変らしい。我が家にある楽譜の半分は全音だ。古臭い体質で問題もあるのだろうが老舗として残ってもらいたい。画材店にも頑張ってほしい。
学校は違法コピーの温床になりやすいので、倫理だけでなく法律遵守として著作権の理解が求められていて、こともあろうに人一倍だらしないおれが学科の担当になっている。
関係資料に触れる機会も多いのだが、根本的なところで間違っているようにも感じている。
たとえば、「日本の土地は国民のものだから不動産で儲けてはいけない」というぐらい非現実的な感想ではあるが、だからといって間違っているのでもない。
「こういう現実、状況だから仕方ない。良い悪い、正しい、間違いという以前に」ということが身の回りで増えている。(なんでもかんでもグローバル化だ。)
でも、こういうことって或る日、突然にひっくり返ったりする。
「やっぱりなあ。何か変だなと思ってはいたのですけどねえ」という感想を多くの人が語り始める。
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音楽の流通が変化してCDの印税よりもライブの収入に頼るアーチストが増えている。
簡易な装置でWEBの音源を聞き流して、本当の音はライブで聴くという人々が多くなったので(だから高級オーディオが売れない)WEB上で無料配布してコピーも自由にする。
これが宣伝になる。気に入ったらライブに来てくださいというわけだ。
実力派でプロモーターに依存しないミュージシャンに多い。
一方、商業性なんてゼロ、好きでやってますというミュージシャンも昔からコピーには寛大だった。
古い話だが、ブリテッシュ・フォークのジョン・レインボーンの広島公演におれは一眼レフカメラを持って行ってバシバシ撮りまくったし、ものすごい録音機をセットしているアマチュアもいた。
「ドンドン録音してくれよ」なんて言いながら「おっと間違ったから最初からやろう」とかリラックスの極み。田舎で農業やってるので練習不足だとか言い訳してたけど印象的なコンサートだった。
正しい在り方だなと思う。
コンサート入り口で鞄のチェックをするなんて最低だ。
デジタル化で複製が高品質化したことが理由になっているが、それは悪あがきというもの。
作らなければ良かったものを作ってしまう人間の悲しさですね。
こういう発言が出来るのもTPPが動き出すまでのことでっせ。