Fixer

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イタリアでの躁状態の反動でボンヤリした毎日が続き、新学期の準備にも手がつけられずにいる。
不要な書類をシュレッダーにかけたり、ちょっと部屋の模様替えをしたり、会議の合間に居眠りしたり(間じゃなくって合間ですよ)、緊張感の無い生活。
そんな或る日、前からやってみたかった「ロウ付け」に挑戦。
三脚を補修するためにボルトと蝶ネジを接合するためだ。
ハンダでは弱すぎるし、電気溶接には手が出ないけれどロウ付けならなんとかなると読んだ。
しかし、ボンベ式バーナーの轟音に押され、真っ赤になった金属の熱にビビる。
Webで失敗対策などを調べながら3回目でようやく接合。
黒く塗装してバッチリ修理完成!
それにしても、写真業界で定評のあった三脚専門のS社製品がこんなお粗末な部品を使っているとは。
デジタル化で三脚の売り上げは相当に落ちているのだろうし、コスト削減で外注が増えているのだろうけど、
長く使い続けることや、修理して使うことを忘れたら、どうなるか?
 
そういう大そうな事でなく、日常のちょっとしたトラブルの修理をして日銭をかせぐようなことを、落ち着いた下町で細々とやって暮らしたいというのが、この頃の僕の希望で、イタリアではそういうのもやれそうですな。
子供の頃は、機関車の運転手か、或いは
貨物列車の最後尾にある車掌車(テーブルと椅子だけの簡素な部屋、(詩人のアトリエみたいだけど、こういう「無駄な」ものはとうの昔に消えてしまいました)で孤独な時間を過ごす車掌に憬れていた。
人を無視することも、人の尻尾に付いて行くのも、人を巻き込んで進むことも出来ないから、一定の距離を置きな
がら浮いている存在。
こういうのはそれほどマイナーではないと思う。
これを積極的に肯定できないので無理している人が多いのではないかな。
都会のルールはこれだろう。
まだ日本の倫理基盤は米作農業で、このズレが混乱と退化の原因だ。
説教師みたいな発言はしたくないのですが・・・