美術とデッサン

美術=絵が上手い。音楽=ピアノが弾ける。スポーツ=足が速い。
そんなこと、あったり前でしょう、という前提で美術学校の試験ではデッサン(素描)が課されている。
それも西欧アカデミズムに則った描法が要求されていて、日本画と言ってもサラサラと文人画を描いても、入学できない制度になっている。
この方法が何十年と続いてきた理由は、教えるというシステムにとって、これほど都合のいいものは無いからだ。
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入学試験だけでなく基礎教育でもデッサンが主軸になっている。
なにしろ400年の歴史がある教授法だから、教える側に何の準備も要らないし、担当者が変わっても打ち合わせは必要がない。全く同じように進められる。
学生が卒業して教師になり、この教育を繰り返して生徒の受験を支援する。
この頃は試験内容が色彩や構想など多様になっているけど、教員の評価はバラバラで、それが一致するのはデッサンだけだ。
素人が見たって一目で優劣は付けられる。
しかし
写実的な描写は創造活動のごく一部分でしかないのに、それを過重に評価した。
超安定した方法に安住して授業改善を怠る(コンピュータの出現は大チャンスだったのに、自分の表現活動にばかり専念する)作家予備軍的な教員が増えた。
美術は特殊で特別なものという主張で、別格の扱いを求めたこともあっただろう。
だから、
知力重視の時代になって、あれこれ詰め込もうとすると、こういう道楽な科目には遠慮して頂きましょうということになる。
何万年という長きにわたって継続されてきた必須の知的活動だとは認知されなかった。そういう判断をする人間を育てた美術教育がしっぺ返しを受けたのだ。
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えらく小難しい話をしているが、昨日から従来の美術とマンガの関係を考えていて、必ずしもデッサン力を前提にしない領域が(マンガや情報デザインなど)増えていることに気づいたからだ。
美術からマンガに向かう人はコンスタントに居るし、彼らはあまり壁を感じていないだろう。
一方でマンガには全く美術に関心を持たない人が居て、美術必須の基礎教養であるデッサン、美術史、色彩などをスルーして通り過ぎる。
できれば多様な領域とオーバーラップする領域を拡げて、総合的な視覚表現力を養ってもらいたい、と常々そう考えているのだけどね。
美術の世界は職人志向で排他的な人が多いからなあ。

美術という名称、すごく好きなんだけど未来を目指すにはネガティブな印象が強すぎる。
「ビジュアル表現」としてリスタートするしかないぞ。