ポカッと空白のような一日があり、雨も降って出かけるのも億劫で、友人から借りた話題の推理小説があって、家族のものはそれぞれに所用で出かけている。
こりゃあ、もう寝転がって過ごすしか無い。
というわけで、午後をベッドの中で過ごす。さすがに悦楽のプロである猫は抜け目無くこの空間に潜り込んでくる。
カシミアの肌触りだけがこの猫の取り柄。それと暖かさ、これも当たり前だけど。

大衆小説はストーリーの内容や帰結よりも、集中して読ませるかどうかの技術が勝負だと思われる。
だから最終的な感想よりも、どれだけ集中して読めたかがポイントになる。
読むというのは快感だ。
言語は高級な表現と考えられているけどホンマかな?
これをイメージするのとそのまま受け取ることとの相違は何処にあるのか?
物語に集中する時、どれほど人々は映像化してるのだろう?
このような疑問の延長にマンガが存在する。

「読まなくてはいけない」課題としての」マンガ
そんなことが出現している。