京都検定

今日との実家では京都新聞を購読している。中国新聞と並ぶ代表的地方紙だ。
そこに京都検定試験問題が掲載されていた。1級から3級まであり、概観したところ2級以上はマニアックな末節の知識を前提にしているようだから3級にトライしてみた。
結果としては84点で合格なのだが、95点は取れると予想していたので不満な結果だった。
翌日に息子の家に行ったら本棚に「京都学」という大判の本があり、眺めると検定問題の出処はすべてここからかと思えるほどの内容だ。
我が家と次男の本棚は共有関係にあるから、その本を持ち帰って手元に置いている。
時おりパラパラと散見しているのだが、不本意な結果によるモチベーションの高まりに加えて、歴史の展開が見知っていると地元を舞台にしているという親密さで、とても理解しやすくて興味が尽きない。
学習ってこういう形で進めるべきなんだな。
だから「勉強」という言葉は止めたほうがいい。(こんな言葉、誰が作ったのかな?)
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(この画像は本文と関係ありません。中学に行く前のことだったけど、今は薬局になっている化粧品店の棚に飾られていたのがどうしても欲しくて入手したというものです。)


姪の死去で呆然としていたけど、昨日S大でのテニス練習会と今日の口田テニスでフルに体を動かして、いつもの自分に戻ったなと感じた。でも、あちこち身体がバキバキで湿布薬だらけ。
動けるってとてもありがたいことですね。