またひとつ、桃源郷が消えた。

今週、月曜のことだが、少し冷静になったので記録しておこう。

昔、中小田に住んでいて、思い返せばそこでの10年間は人生最良の時であったから、特別の思いを持っている。
そこが水害に襲われたと京都に住む息子から知らされた。
報道にあった画像から推測したそうだが、まさに中小田だった。
翌日、通勤の途中に午前中、休講の知らせが入ったので、ルートを変えて矢口から太田川を南下した。
車が水没していた矢口駅周辺の水はすっかり引いていた。
ショベルを担いで芸備線の線路上を歩く人々が堤防の上の幹線道路から見えたのでモルテンから大上免酒店に出ると、泥の撤去作業が進められている。
そこから坂を上って中小田公園を過ぎると、大きな石が散乱して、まだ水が流れる黄土色の更地が広がっていた。
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目の前には鉈で割ったように壊れた大きな家屋、その下には乗用車が埋まっている。
これがHさんのお宅だったのだろう。
白い土塀に囲まれ、庭には大木が茂る立派なお屋敷だったから、被害は想像もしなかっただろうが、土石流は全てを押し流す。
息子の友人宅で、今の家に引っ越した時は家族みんなで手伝ってくださった。
そのお母さんが亡くなられた。

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左手、涼やかな滝があった所は崩れて水が噴き出している。
蛍が飛び交っていた昔の桃源郷のような光景を思い出して、涙が止まらない。

小田の周辺は白っぽい真っ新の住宅が無秩序に建て込んでいて、昔の落ち着いた世界は消え去っていた。
それもまた無念なことだが、こんな凄まじい破壊で、ユートピアが粉微塵になるなんて。
残酷なことだが、せめて記憶の中に天国のような日々をとどめたい。

長男はたまたまジブリ展の仕事で広島に帰っていて、被災した彼の友人たちの名前を聞くだけで当時が蘇る。彼らが通った小学校が避難所になってテレビに映っていた。
「まさか、まさか」
大学では学生の安否確認に追われた。
幸い人的な被害はなかったが東方面の交通は当面回復の見込みがなく対応に悩みそうだ。