京都に来て1週間が過ぎた。
天候が不順で、いつものようにあちこちを自転車で走り回れないから、自宅の周辺を歩いてみた。多くの家屋が中小規模のホテルや民泊に変わり、そのどこもが人気・なく扉を閉じている。あるいは駐車場になっていて、付近の町並みはもはやゴーストタウン寸前の状
態だ。俺の通った小学校も中学も廃校になりグランドは雑草が茂っている。
コロナ以前は大きなスーツケースやバックパックの旅行者が家の前の道を行き来していた。
あのままだったら、かなりの賑わいになっていたのだろう。
その需要を見込んでこんなにたくさんの宿泊施設が作られた。
数年後には旅行者も戻るだろうけど、あの溢れる人並み、沸き立つ消費は戻るまい。
地元の新聞では地下鉄やバスの大赤字ばかりか京都市の財政破綻が取り上げられていて、そんな脆い基盤の上で今の京都が成立していたとは寒々しい限りだ。
グローバル化の脆さをまざまざと見せつけられたということだろう。
父親の墓参りに行った東福寺では人影がまばらだった。
また近所の東寺でも拝観者は数名。これ幸いと国宝の立体曼荼羅を拝む。
昔はこんなもんだったしこれが本来の姿なんだと思う。
|大波のような観光客の群れを見て、これはいくらなんでもおかしいんじゃないかと感じてもいた。
もうあの頃に戻る事はないだろう。戻ってはいけない。
幅広いJRの鉄路を跨ぐ高架橋周辺についてはこのブログでもしばしば書いているように子供の頃からの遊び場だった。遊び場と言うよりも1人でぼんやりと過ごしていただけの場所と言うべきかな。
絵を習い始めた19歳の頃、このスケッチと全く同じ構図で油絵を描いた。
モノクロームな風景だが中央部の石の柱をオレンジ色に塗ってしまったから、収拾がつかなくなり完成できなかった。50年ぶりの再挑戦である。
この壁の裏側でロン毛のじいさんがテナーサックスの練習をしていた。へたくそなんだけど曲はジャズのスタンダードばかりで悪くない。周囲に住宅はないし適度な反響もある。いい場所を見つけたもんだ。