やっとこさクラナッハ

延び延びになっていた大阪行き、4月になってしまったけどようやくに。
昔から気になっていた画家クラナッハ。これがまとめて見られるなんて考えもしなかったことだが、企画の背景にはしっかり計算も働いていたのだろうと、見終わって感じた。
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未成熟なうら若き乙女が薄衣だけを手にして身をくねらせている。
これがクラナッハの基本形で、どう見たってイヤらしい。
裸婦像は基本的にイヤらしいものだが、神話的な状況で形態を理想化することでイヤらしさを減少させている。好みの問題とは思えないのだが、ミケランジェロルーベンスの描く女性には色気のイの字もなく、こんなのが傍に居たらうっとおしいだろうけど、クラナッハは違う。
こんなのが傍に居たら、えらいことになる。
強力な磁石のように引き寄せるパワー。
こりゃ絶対に破滅する。

マルティン・ルターの肖像でも知られるように、クラナッハはキャラクターの造形が巧みだ。
ルターの版画は宗教改革の波にも乗って相当たくさん印刷されたらしい。
今でいう映像産業みたいなものだったのか。
500年前にしてはずいぶんポップな世俗的な存在だったのかと感じる。

同時代のデューラーとは美術史上の評価が段違いだとされているが、おれはデューラーがガチガチで陰気、まずい料理みたいと、ちっとも良いと思えない。

クラナッハの危ない絵はどれも40cm以下の小さいものである。
家族が寝静まったあと、密かに取り出して見入っていたスケベジジイの姿が想像される。
この吸引力はやはり実物でしか味わえない、感じられないものだ。
強烈に吸い込まれました。