映像と実物

フィレンツェメディチ家の至宝」という映画が今日までの上映だと聞いて、女房と出かけた。
駐車に手間取って上映直前に到着、平日の昼だから空いているかと思ったら結構な入りだ。
席を探したら、美術史の教員と画塾のオーナーさんが居て、手招きしてくれた。
フィレンツエには何度か訪れているので、実際に行ったところ、見たものばかりだが、ドローンやクレーンを使った特異な視点からの撮影や、極端な細部の拡大などが楽しめた。
ゴッツォーリのフレスコは狭い室内にぎっしり描き込まれていたのだが、あの空間感覚は実際に現地で見ないと掴めない。(それを伝えようという意図もないようだが)細部の描写やきらびやかな色彩は、現地でこれほど鮮やかに見ることは出来ない。(時間制限や照明などで)

絵画の記憶は簡単に画集のイメージと置き換わってしまう。
印刷物のイメージを現地で確認しただけで、あまり実物から得るものも無く、本物を見たという安心感だけで満足して帰ってくることも少なくない。
デジタルイメージの品質向上で、画集よりも多くの情報を得ることができて、絵画の記憶方法も変化して行くのだろう。でも、まだ俺の記憶は印刷された画集の形をとっているみたいだ。
ボッティチェルッリの「春」など、何十倍にも拡大された画像でも、大画面を充実させることができるので、この一枚だけで30分以上の映像を飽きずに眺められる。じっくり味わい解釈するという鑑賞もいいものだ。(できれば実物を見てから)

帰宅してから、録画しておいた韓国映画「国際市場で会いましょう」を見た。
いきなり先週歩いたばかりの地域が次々と出てくる。
チャルガルチ周辺の雑貨市場、魚市場、屋台通り・・・・
雑貨店主の老人が少年時代からの苦難の歩みを回想する。
朝鮮戦争、避難での生き別れ。釜山のスラム、靴磨き。ドイツの炭坑やベトナムへの出稼ぎ、と主人公は一家を支えるために働き続ける。
CGを巧妙に使って時代を再現して韓国現代史の要約にもなっているからだろう、韓国では大ヒットしたらしい。
わずか二日間の滞在だけど、土地の空気や臭い、暮らしてる人々の姿がまだ生々しく残っているので、映画がとてもリアルに感じられた。

ということで今日は実物と映画の二本立て。面白かったです。