ピタゴラスイッチとターナー

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孫を喜ばせようと作ってみたら、とてもおもしろかったし、これは教材に最適だなと思われたので早速に試しているが、いまひとつ学生の反応はよろしくない。
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まずもって
手を動かして、物を作って、嬉しくなる。
という基本から違っているし
工夫しながら目的に近づくという執着も少ない。
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確かに工作は簡単ではないが、技術以前の問題だ。
こういうズレをあちこちで感じて、世代の違いに無力感を覚えることが多くなった。

でもピタゴラスイッチを作っているのは若い世代の学生さんだ。
タイプの差が拡大しているということか。

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昨夜、映画「ターナー」を観た。
英国らしく生々しい人間描写で、ラスキンやジョン・ソーンなど19世紀英国の有名人の姿もあり、秀作だった。その中で、アカデミーの展覧会で陳列された作品に大勢の画家が自作を修正するシーンがあり、これには驚かされたが、こういうのもいいのじゃないかな。
見に行くたびに変わっている絵画展。
ターナーは絵に唾を吐きかけてからドドッと絵筆を走らせていた。そんな唾のシーンが2回もあったから、乾いた絵の具に濡れ色を復活させようとしていたのかもしれない。
フェルメールの絵を現地で模写した人から、絵の具の層の重ねを確かめるために、隠れて何度も唾を塗り付けたという話を聞いたことがある。
若き日のラスキンがクロード・ローランをボロカスに否定して周囲の画家たちから諌められる場面とか細部も含蓄に富み、巨匠が如何に創り出されるかまで考えさせられる名作だった。

明日の午後からまた京都だ。