画集

クラナッハという画家の名前が思い出せなくて画集を開いた。
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ファブリの全巻。下鴨神社古書祭りで買った。
実に久々である。2年間ぐらい触っていなかったのじゃないかな。
黴臭く周辺も黄ばんでいる。
画面が暗いなあと感じる。最近はタブレットばかり使っているからだろう。
映像では再現できていた階調も印刷では潰れている。
そして何よりも「これだけの図版しかないの?」と驚く。
ネットの画像検索だったら数倍の作品が見られるだろう。

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仕事柄、家には幾つかの画集がある。
本通のアカデミア書店で買った。安かったな。
これは印刷の質が素晴らしい。37巻もあって場所が無いから階段の下に置いている。

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結婚前から女房が持っていた。このタイム社シリーズは解説が良い。
あまり読んでないけどね。
ほとんどの画集は、絵を見て感じたことをベースにして書かれていない。

美術は眼で見ることで始まり、終わるものだ。
ウェブで絵画を見ていると自然とそのようにとらえるようになるだろう。
例えば音楽史の本を読むとき、実際に音を聴こうとすると大変だった。
廉価版のCDが豊富に出回って、ようやく現物に触れることが出来たのだが、今ならウェブで聴ける。
解説に書かれていることを直に確かめられるので、「俺はそうは思わないな」と判断も出来る。
これが出来ない時代では評論家に頼るしか無かった。
情報を独占していた訳だ。
現代では本物を見るために外国に行くことも、外国語を学ぶことも容易になった。
こういう画集はもう出版されないかもしれない。
それとともに西欧美術や文化への憧れも減少していくのだろう。