彩色された彫像

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兵馬俑をゆっくり見られなかったから、チラシを描き写しながら再見。
BC300年、始皇帝。簡潔な古典的表現からは安定した時代が想像される。
兵馬俑も当初は鮮やかに彩色されていたというから試みたが、止めておけば良かったと後悔。
ギリシャ彫刻もリアルに彩色されていたが復元図を見るとガッカリさせられる。
どうしてあんなつまらないことをしたのだろう?と現代人は考える。
とくに美術の教養がある人は必ず。
彫刻という捉え方、考え方は500年ぐらい前、ルネサンス期に固まった。
我々が「美」と感じ、一級品と判定する価値は、当時の作品を基準としている。
これを世界に広めたのは教育だ。

この素描に肌色を塗ったときに思い出した。小学校の美術の時間では「肌色」が禁止されていた。
形式的なモチーフや彩色を嫌うアート志向の先生だった。「空色」や「茶色」で表現が画一化されるのを避けたかったのだろう。黒もパレットに出さなかったから印象派の影響もあったのか。

熱心な教師は様々な工夫をして指導しているが、価値観を限定するという弊害も共存するし、極端な場合、戦争中のようなことも起こる。
もちろん学校だけが価値を伝承する場ではなくて、社会全体が育てるもので、それを文化というのだが、
ベートーベンやピカソが偉い、という教育は人々の日常生活からはとても隔たっている。
芸術系教育の衰退はそんなところにも原因があるのだろう。

古代人はベタッと彩色された彫像にどんな充足感を持ったのか?
映画のリアルなCGや恐竜の復元と思えば理解できるな。