雨の日は美術館

イメージ 1
基町高校の施設には行くたびに圧倒される。
生徒の作品も質が高い。3年間で多様な美術が体験できて進学実績も豊富だから、実業系にありがちなマイナーなイメージは無い。ま、県内トップの高校ですからね。
この後に県立美術館で熊野高校の卒制を見る。高校入学の時点である程度進路を絞ることは俺にはできなかっただろう。
早期進路決定の是非は語りにくい。スポーツは別格としても。
イメージ 2
現代美術館・市立大学卒制
選別した作品をゆったり展示しているから京芸作品展よりも見やすい。
何よりも彫刻が「彫刻らしい」のはこのコースに男の子が多いからか。
イメージ 3
絵画も「絵画らしく」て質も高い。写実への疑問や迷いがないから集中できているのだろう。
京芸とは格段の違いだ。10年後の可能性とか言うと京芸には実績があるので,4年間で成果を問うのは早計なのだが、すこし不安になる。
先日の京都では六波羅蜜寺を久々に訪れて、鎌倉のリアリズムを考えてみなければいかんなと思わされた。南大門の仁王像みたいに形を生み出して造形していく内発的なリアリズム。
一方、現代のリアリズムは、写真やテレビ映像がリアルな感性を後追いしてるようだ。
誰にでもわかりやすい大衆文化の形でもあるだろう。

現代美術館では「ふぞろいなハーモニー」と題する現代美術展も開かれていた。
1時間近い冗漫なただの記録映像が幾つも在って、誰が全部を見るのだろう?映像によるコンセプチュアルアートがまだすたれずに続いているのが不思議。
内臓をかきむしるような現代音楽がまだ続いているのと同様だ。
ベートーベンを筆頭にドイツ音楽の至高を定着させたキャンペーンを終わらせる訳にはいかないのだ。
この領域のアーチストがどうやってご飯を食べているのか?
などなど足早に見ながら疑問は次々と。
ただ、千葉正也の作品は良かった。映像でなく描くことで(それも極めて荒目のキャンバスにザクザクと)明快な伝達をしていた。情報を研ぎすますこと、これこそ絵画の力だ。
俺の嫌いなタイプの展覧会だったが、何を描くべきなのか?を考えさせる意味はあった。