CGとテニス

週末はたっぷりとテニスをして、後はビールを飲んでひっくりかえってウィンブルドンを見ていた。
健康な生活とは斯様なものである。
と言っても毎週のCG授業に対応するために、その準備だけは欠かせない。
イメージ 1

CGというと技術ばかりが前面に出ていて、あまり美術として扱われていない。
「CGみたいな・・・・」という言い回しで、味気なさと殺風景の代名詞になっているぐらいだ。
イメージ 2
最近の住居や車、日常雑品はほとんどCGでデザインされているから、風景がCGのようになって来ている。こういう環境で生まれ育つ次世代がどのような感性を持つのか、その狭間で混乱しているのが美術界の現状だ。
ローカルの防護壁で何とか持ちこたえて来た職場にも嵐が迫って来ている。
実習室の片隅にあった「アトリエ」という古い手引書をパラパラと見ていたら
巻末には公募展への出品を呼びかける広告や、美術研究所とか画材店の宣伝が一杯だった。
あれから50年が経って、戦後の文化的盛り上がりが消え去ろうとしているのか。
欧米的な価値観の礼賛、憧れ、信仰。
今はまったくアメリカへの憧れを感じない俺でも、アメリカ人に生まれなかった自分が情けなかったものだった。
イメージ 3

生まれた時からコンピュータに触れて来た子供たちが、お絵描きの道具としてCGで遊んでいる。
紙や針金ではマトモな工作や造形が出来ないのに、パソコンには集中できるし、飲み込みも早い。
ついていけないな。