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原発の賛否に関する議論が続いている。
これほどの被害と不手際な対応を見せつけられると擁護の声も低くなるが、生活の不便と経済成長への懸念からバッサリ切り捨てることもできないという状態だ。
長い間、人間は我慢と忍耐で生存を維持してきた。それを支えたのが宗教だ。
20世紀後半から欲望と消費がそれに取って代わる。「希望と変革」と肯定的に言うこともできる。
いずれにせよ、限界を超えて可能性を追求する強い力。宗教が神の名において人間を閉じ込めていた壁が壊された。
結果として、家には高性能で快適な車や電化製品、郊外モールでお買い物や映画。時々、海外旅行。
落ち着いた(因習的な)生活を犠牲にしても悪くない。
しかし、その背後で進行していた荒廃が今回の大震災で一挙に露呈した。
有名大学への合格者がずらりと壁に貼り出されている山陰の公立高校、閉校になる山間の古い小学校、大きな農家を守る老婆、そんな光景を何十年か見てきた。
全国から創造的な若者が都会に吸収され、田舎には老人が残り、道路だけが立派になる。
同じ構図が国境を越える。食料も労働力も安価な隣国から供給すればよいと全く企業の論理で進行し、クニが消えた。日本を焼きつくした資本の炎はいま中国で燃え盛っている。
電力供給が不十分だと企業が海外に転出するという懸念があるそうだが、文化に立脚しない企業は利潤を求めて早晩この国を出て行くだろう。
いまこそ愛国心が!とは言わないが、生まれ育ったところ、住んでいるところを愛おしく思う心が育てられなかったら国は滅ぶ。
奈良と京都だけが日本文化ではない。美しい田舎、整然とした町並みを回復させることが大震災への回答だ。
人間にはしてはいけないことがあり、できないこともある。

ということで「禁」としたのだが、酒が止められない。これを壁に貼っておかねば。