低俗とは?

現代美術館へ学生引率
「HEAVEN 都築響一と巡る社会の窓から見たニッポン 」
かなりポップだから、いまどきの学生に受けるだろうと思っていたが、はるかに過激で毒々しい内容にビビッた。
撮影はご自由にということなので一部を紹介しよう。
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僕はHighよりもLow、高尚よりも低俗が好きというかタイプなので、新入生向けの授業では「改造バイク」を最初に取り上げている。ほとんどの学生たちは僕と同様に中流以下の家庭に生まれ、がさがさした街の中で育っている。自分の原点を見失わないように、一級品だけを対象とする美術史を補完しておきたいのだ。
歴史のなかで王朝の交代劇を見ればわかるように、野蛮な周辺民族が攻め入って権力を奪い、次第に洗練されて新たな文化を形成し、爛熟から衰退、そこに新たな野蛮が取って代わるというパターンが繰り返されている。
もちろん洗練された文化の継続も見られるのだが、自らを肯定する力が強くないと次の時代は開けない。
 
たいそうなことを言ったが、下町に育った本音です。
展示物の多くが大学紛争や土地バブルを起こした成長期のエネルギーの産物で、この手のカルチャーは大阪が本場だったけど、今ではかなり衰退している。
都築響一氏も「今しかない」とラブホテルや秘宝館を撮影して回っているという。
展示の一角には秘宝館が再現されていて18禁になっていたがこれはすごかった。
すっかり年老いた広島太郎さんと2ショット。
 
同時開催されていた展示で、古い友人の作品と久々の対面。
自ら命を絶ってもう十数年になるのか。
キャプションに、高名な画家から「作家になれ!」と激励された逸話が紹介されていた。
こういう無責任というか無定見な発言が多くの悲劇を生んでいる。
作家と言われる連中はエゴイストばかりだから、努力や意志と同様に星(運命)を見極めることが大切だ。
 
強い雨が降り続く比治山の屋外エスカレータで段原へ降りる。
滴り落ちる雨水を眺めながら、「何のかも言っても、オレは誰かさんにとって良い子ばかりやってきたのかも」と考えた。「エゴを丸出しにしろ」と言われても、そんな自分が何処に在る?
自分の内面を覗くと、当然空白で行き着く先は絶望。
作らないことには自分は見えません。
 
展示には80歳からラップを始めて90歳でステージに立っているといったような元気爺さんが何人も紹介されていた。
この「低俗アート系」から自殺者が出ることはほとんどない。
やっぱりここからかな。