アジア

2005年の夏にバンコクへ行ってから、翌年3月に中国、2007年夏に台湾、そしてこのバリ(インドネシア)と小さな旅行を続けている。
「広く浅く、そして安く」という俺の基本であるが、ユーロになって馬鹿高くなったヨーロッパに長い時間をかけていくほどのものが、彼の地にあるかどうか。
まだまだ西欧は世界の座標軸であり、日本においても価値の尺度になっているけど、徐々にそんな時代も終りつつある。大革命みたいなイベントでなく生活ベースでとても大きな変化が生まれているのではないだろうか?
戦後世代の我々には欧米への劣等感と憧れが根強くあり、何を作るにせよ彼の地のイメージが最初にある。これはヨーロッパ人からすると日本というオリジナリティを捨てているように感じられる。「極東」に来て美術館で日本の印象派、フォービズム、キュビズム、シュルレアリズムなどが並べられているのを見たら「?」となるに違いない。
それと同様の違和感をバリの美術館で感じた。
バリ様式の絵に並んで西欧絵画の様式変化に相応したバリ絵画が展示されていて(それらは全然良くなかった)、無意味なことだと感じ、そして同様のことが日本のあらゆる美術館で行われていることに思いを馳せた。バリは西欧文化と奇妙な合体をしながら創造的な展開を続けているユニークな土地なのだから、そんな西欧化は必要ないのに。
これは芸術論のテーマとしては最適のものだな。早速新学期の授業に取り入れるか。
一方、アジアン趣味とでもいうべき流行に乗って、工芸では東南アジアが大生産拠点になっている。この品質と価格でやられると日本の工芸業界は壊滅する。
美術という狭い世界に限ってもヨーロッパでは感じられないリアルな問題がたくさん見つかるのだから、これが政治経済になったら大変だ。特に台湾、タイ、インドネシアは密着といってもいいぐらいに日本と結びついている。先の大戦でも西欧人を追い出してすぐに敗戦で帰っていったので、ほとんどマイナス面が出なかった。だから親日感情は強く人々の視線がとてもやさしい。
オヤジはスマトラに駐留して離れ島に長く居たので、戦争の否定的な話は余り聴いたことがなかったなあ。
ここに注目すると先の大戦も肯定的な意義があったということになるが、隣の韓国や中国になるとそうは行かない。アメリカと中南米、ロシアとトルコなど仲良くなりにくい代表例だけど日常生活でもすぐ近くの隣人とは付き合いが難しいものだ。でも国家は引越しも出来ないのだから慎重に賢明にやらないとね。
ということで韓国。せめてハングルを少しやってからとかは考えずに早々に行かねばなるまい。
と思ってたらドル安。この機会にアメリカも見なくてはならん。日本もこのまま行ったら、あんなになるのだろうから。