1989? 「Persuation」 530x455cm
ベネチア派の巨匠、G.ベッリーニが好きで、画面の上、3分の1は「聖なる寓意」を真似ている。ウフィツィ美術館所蔵らしいが、3回は行ってるのに見た覚えがない。
油絵が発明されてからの50年間で技術と表現は最高峰に達した。400年後に東洋の果てに生まれた自分がそれに惹きつけられるのも、現代ならではの現象だ。また俺の世代にとって「西欧とは何か?」は大きな課題である。
この時期、こんな擬古典風の絵を何枚も描いた。面白かったし、素人騙しにも有効だったな。
でも自分以外に存在意義はない。世界旅行が手軽になった1990年代から欧米を模倣するアホらしさが明白になってきた。情報電子技術が世界中で同時進行するとグローバルな意識とともにローカルの独自性が重視されるようになる。
2003? 「Quake」 606x727?
どこにも発表していない小品だ。遊びに来た英国の作家が褒めてくれた時、なるほどなと納得できた。擬古典風の絵と並べて壁に架け、「自分は何がしたいのかな?」と考えていた時のことだ。正直に自分の内面が出ていると思う。
もし、今、絵画展を開くなら、こういう絵を描きたいけど、健康のために止めておこう。
きょうの点滴は効いた。5時間横になって終わったら、これまでにない悪寒と頭痛。
さすが最終回に設定されているだけのことはある。
ところで、この言葉、
思慮も無くやたらと使われているな。