羅生門

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京都の父親は最近になって体力が低下していたので、週末には帰ってみようと考えていたら
救急車で運ばれたという知らせがあった。
朝早くに大学で用事を済ませノートパソコンをリュックに詰めて新幹線に乗る。
集中治療室の父は意識が無く激しく痙攣していて、それは前々回にこのBLOGに載せたGIFアニメの自分と全く同じ光景だった。
先週いっぱい、このアニメーションのために20号のキャンバス8枚に油絵具で描きながら撮影を続けていた。その編集のためにパソコンを持参したのだったが、とてもそんな作業は出来ないし、当分は封印することになるだろう。(6月半ばに予定していた映像個展も別の企画に変更した。)
ぐったりくたびれて外に出ると近くの東寺では弘法さんの市が片付けの最中だった。
母は冷えた果物のミックスを3分の1に値切って、気分良くなっている。夕空は晴れ渡って清々しい。


どうなることかと家族が集まり、広い個室が一杯になる日が続いたが、幸いにも父は徐々に安静を取り戻し、意識は戻らないけれど穏やかな眠りという状態になって、我々夫婦はひとまず広島に戻ってきた。

1週間通い詰めた病院は羅城門という場所にあってバス停の表記は「RAJOMON」となっている。
本来の音は「らしょうもん」と発音するので羅生門という表記が一般的になったという。
今は小さな石碑があるだけの平凡な住宅地だが、あんな伝説が生まれた1000年前はどんな光景だったのだろう。また1000年の間にどれほどの人生が存在したことか。
92歳の父を60歳年下の孫が90歳年下の娘を抱いて見舞いに来ている。これを11段積み上げると1000年になる。
東寺の密教仏像群はこの長い時間を見守り続けてきたのだ。

病室の窓からは京都を取り囲む山々が一望できて、新幹線が5分毎に走る。
狭い裏通りを自転車で走り、自宅から病院までを往復した7日間のあと、広島の郊外を自転車通勤する、このズレを30年間も感じながら暮らしてきた。
土着の安定感も悪くないが、こういう「いろいろあるなかのひとつ」がこれからのスタンダードになるだろうな。
画像は実家の庭。閉じていながら息抜きになる坪庭だ。