母校

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5日ぶりに京都を再訪するとオヤジは奇跡的に回復していた。
といってもかすかに肯いたり手を動かせる程度であるが
ともかく目を離せないという状態ではない。
静かに眠っているばかりで、こちらもすることが無いから病院の近所をぶらぶらしていたら、少し先に通っていた高校があることを思い出した。

京都はつい最近まで千本通りから西はネギ畑やセリ畑の田舎だった。
この千本通りは羅生門が建っていた朱雀大路とほぼ重なってる。
とくに西大路や九条の外側のゾーンは全くの田園で、戦後に工場などが進出してきたから、その風景はごく平凡な何処にでもある「醜悪な郊外」であって全く京都的ではない。
そのド真ん中に新設された高校に我が家の兄弟全員が通っていた。
(当時、京都は住所で通学先が決定されていた。)
周辺の味気無さは画像で見られるように相当なものである。
有毒物質を排出していた工場は移転しているが、40年を経てさらに味気無さは拡大している。
そして母校は「夢も希望も萎える」ようなくたびれた姿になっていた。

中学ほどではないにせよ高校時代を思い出すことはとても少ない。
それでも俺の感性には大きな影響を与えたことは確かだ。
この殺伐さは日本全国に見られるもので、さらにそれは世界各地に拡大中だ。
ロンドンやバンコックや上海、ローマ、大都市の郊外に共通する雰囲気が俺の中にしっかりある。
京都生まれをいささか自慢にしているが千年の都と戦後の無味乾燥が50%ずつというのが本当のところ。
だから、その両方に惹かれる。
どうしてこんなにつまらない景色を思い出すのかと呆れるほど味気ない風景が夢に出たり記憶に甦ったりして不思議な気持ちになるのだが、それは俺の原風景なのだ。