名古屋化

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半期に一度の教員研修の季節になった。
ひとから説教されることの苦痛を味わい、学生の視点から反省するというものだったが
この頃は洗練されてきて、面白いものが多くなっている。
それでも大半の教員は講義室の奥に座るので特等席がガラ空きだ。
本日の出し物は「ハラスメント」と「ユニバーサル高等教育の課題」
アメリカで聞いた話を紹介するというモノが多く、ま、おれが東京に行って見聞したことを話してるのと同じだけど、
世界中がアメリカ化しているので人間も同じようなことになるのかと考えると、ちと怖くなる。
こういう時って悪いことばかり伝播して、あの能天気で開放的なアメリカは、やってこないんだな。

この前、次男と青山のブックセンターを物色していたときに(この本屋いいね)
「名古屋的なるもの」という表現があって、どういう意味かと尋ねられた。
いまはどうか知らないが、昔の京都で名古屋の評価は強烈に低かったので、その時の息子への答えはとても人前で話せない。
美術の先生はこう言った。
「映画の看板を見ると街の文化程度がわかるが、名古屋の駅前に立ってごらん。すごく下手、目も当てられない」
社会の先生はこう言った。
「名古屋の生んだものは人力車とパチンコだけだ」

鈴鹿山脈を境にして言葉の発音が変わるし、関ヶ原で東西が激突したのはむべなるかと思われるが、あの時の敗戦がいまも関西人のトラウマになっているに違いない。
そこまで言うかな、というほどに名古屋のことをクソミソに言う。
(ちなみに東京のことは話題になったこともなかった)
部落問題や韓国人など因習と差別が身の回りにいっぱいあったけど、その中で生きていて友人もたくさんいるので、子供の中では差別やこだわりはほとんど無かったように思うが、東京から転校してきた者は散々にからかわれていた。
いまにして思うと「東」への敵意だったのじゃないかな。

俺自身も岐阜に親戚があったから子供の時から何度も濃尾平野を訪れている。
あるとき蛍光塗料のオレンジと黄緑がギラギラ光る屋外看板を見てゲーとなったことがあるが、日本中にある郊外大型ショッピングセンター周辺の光景を見るたびに、それを思い出す。
「名古屋化したな」と感じる訳だ。

どうか名古屋の方は怒らないでもらいたい。全くの偏見です。
ゴヤカという音だけを受け取って笑ってください。