評価

アカデミー賞の発表を前に日本からノミネートされるだけで大騒ぎ。ノーベル賞や映画祭、ピアノコンクールでもだけど、どうして外国の評価に一喜一憂するのか?

そんな日本の姿が、井上章一の「つくられた桂離宮神話」で読み解ける。

圧倒的な欧米に文化面でも対応しようとした明治の艱難辛苦から、昭和になると海外の評価に依存、ひいてはそれを利用するようになる。

現代になって、周辺状況は全世界の画一化で特に日本人を打ち出す必要や意識が無くなっているのに、マスコミ(大衆)はその自覚もなく、依然として自身の基準を築けないままだ。

その背後には「みんな一緒に」を是として独自を許容できない文化がある。

若い音楽家の活躍を追いかけていて、これからの日本は大丈夫だなと感じてるが、そういう世代の人たちはあまり新聞やテレビを見ていない。

そういう危惧感はマスコミも感じていて、今度は「ネットで評判の・・・」とやりだしている。「見識」はどこに在るのか?

そもそも見識を外部に期待すること自体が間違っているのかなとか、毎朝、新聞を見ながらぼんやり思っていて、朝食時間が1時間近くなってしまう。

それにしても、あらゆるニュースの前に大谷の動向を伝えるのはどうなのかな?