クリストファー・ノーラン 卒業

クリストファー・ノーランの映画を続けて見ている。

アカデミー賞受賞の前からアマゾンプライムでたくさんアップされていたからだ。

夢の入れ子構造、過去と現在、未来の錯綜、地球外世界の時空の歪みなどを斬新な映像で表現していて、2時間半ぐらいの長編が多いのだが、ぐんぐん引き込まれて行く。

ほとんどの脚本も書いていて、これまでにない映像を作り出している。まいった。

そんなことで寝不足の朝、コロナ容疑で行き場所のない孫No.3を預かる。

どこが病気なのか?

元気いっぱいへの対応はまずレゴから。

昨夜の映像を思い出しながら縦横上下にこだわらない使い方を試みる。

精度が高いから多様な組み合わせができる。50年近く遊んでも飽きない、凄いなレゴ。

持続力のない孫は女房のケーキ作りを手伝ったりしながらも当意即妙、打てば響くトークを続けている。

軽佻浮薄ながらも人を楽しませる天賦の才に愛嬌のあるルックス。

しかし、4歳前に「どうでもいいじゃない」を覚え、最近は「飽きた」から「めんどうくさい」を連発していて、早くも周囲の期待を諦めさせている。

まあ、楽しい人生を送れそうだな、と思わせるのは、この子の徳なのだろう。

明日から京都。一週間の長逗留になるが、天候は雨が続くらしい。息子宅に植木、実家に畳の上敷きや電気コードを届けるので、今回は車だからいろいろ積んで行こう。

女房は久々の京都だが、この前も車だった。オブスクラ京都の展示の時だから、5ヶ月前か?

孫No.1の卒業式だった。

背丈は女房と同じほどで、声変わりしつつあるが、まだ行動は子供っぽい。

6年前、山登りを始めた頃のスナップ。

「感慨深い。」卒業式の常套句だが自分の子供の時には感じなかった。

初めてしみじみとその言葉の中身を考えてみる。

成長と衰退、退き行く自覚が、そう感じさせるのだ。