一週間

明日から京都だ。テニスの後、準備をしながらエレキギターをチェックする。

弦の張替え方法が全然違う。ピアノみたいだ。

トレモロにこだわったのは間違いだったか、もう少し触ってみないとわからない。

そんな事をしていても能登の災害は気になる。

今日で一週間になった。

見たくはない情報だけど、肝心な被災地では停電していてネット環境も壊れているから、見ることが難しい。なんか変だ。

救助が来れなくて困ってますとマスコミが報道してる。上空のヘリから「SOSの文字が上空から見えます」と言いながら助けに行かない。

近所の八木で大規模な土砂災害が起こった時にも感じた事だ。爆音がうるさいだけ。見世物になっているように思えてくる。

被害の実態が明らかになってから対応する仕組みだが、起こった時点で犠牲者は三桁になる事はわかっていた。いま起こっていることはほとんど想像できた。

道の駅を防災拠点にして、食品、医療、生活、通信をパッケージしたコンテナを配置し、迅速に災害に対応できる仕組みを作れという提言は地震の前からされていた。

食料自給や必需品の国内生産なども喫緊の課題だ。

80年前、ほとんどの人が自分で歩くための草鞋を自分で編んでいた。衣食住を自分の周囲で賄っていた。何千年もそんな生活が続き、いきなりこれだ。

大きな無理が生じるのも当然だろう。

コンピュータに向かってキーボードを打ちながら、そんなことを考えている。