年賀状仕舞いの知らせが幾つも届く。そういう年齢になっていることに加えて、3割もの料金値上げも後押ししているようだ。
惰性というか儀礼的な年賀は受け取っても嬉しくない。また、近辺に居てラインなどでも繋がりのある人への挨拶にはハガキを使う必要もないだろう。
だからこういう画像を添えて電磁式に変更を進めてみた。
因みにこの画像、字形はともかくバランスが良いと褒められた。それも当然で、文字のバランスは画像ソフトで修正している。
ラインで年賀を送ると肉声で返答が返る。それが対話にも発展することもある。
文字による意思疎通がより迅速になった。
でも、ハガキのようにドバッと印刷して宛名をプリントして送ることはできない。
(一斉に送る技もデジタルにはあるけれど)
手間からみたら心がこもっているのは何方だろうか?
賀状仕舞いの理由は、まず高齢になって対応が難しくなったという事になるが、隠居して暇も十分にある老人こそ、じっくりと年賀を書き、旧交を温めるべきではないかと思う。
やっと静かな正月になり天気も良いから、昨年のように市内の神社巡りをしてみようかと思ったのだけど、そういう気分になれない2024年だ。
ひと山、向こうの阿戸神社にお参り。
訪う人無く、新年の装いも無く、老人たちのゲートボール場になっていた。
付近を散策。
せせらぎを見ては孫の水遊びに良いなと思ったり。その世話ができる能力も無いのに。
別荘なような家が幾つも建てられていた。
憧れとしてはわからないでもないが、実際に暮らしてみたら不便だし退屈で面白くないだろうと、俺は思う。
無人で勝手に飛んでいる凧を見た。スズメを追い払うための装置だと思うけどよくできているので観察。
正月の松飾りが似合う典型的な広島の農家。いい風景だ。
でも、昨日、小説「二十四の瞳」を読んだので、戦前の貧しさと屈折した皇国思想の愚かさが、こういう「古き良き日本の風景」と直結していたことを考えると、手放しで肯定できなくなる。