唐風長崎

坂の上から特徴的な屋根が目を引いていた。

いきなり中国だ。

ということで、ホテルで休憩後、中華街の奥にある唐人屋敷跡へ向かう。

長崎駅の案内所でもらった地図を睨みながら周り方を考えるのだが、距離感がつかめない、というか予想した時間の倍ほど早く着く。

かなりコンパクトな街なのだ。

左が京都で右が長崎。広島はあまり歩いてないからこういう比較になった。

この御堂の背後にある資料館でじっくりと解説してもらう。観光客はとても少ないので暇そう。

17世紀末に出島と同様に中国人が壁の中に隔離されて、役人と遊女以外は入れなかったという。遊女って必須のものだったんだ。

シーボルトの専属絵師だった川原慶賀。簡潔で上手い。

4箇所の御堂周辺は夏草が残って忘れ去られた寂しさが漂う。

 

ソテツの雄しべ雌しべ、恐竜時代から続く古い植物だそうだが、なんかいやらしいなあ。こうしてアップしながら、いろいろ調べるのでとても時間がかかるけど、未知、無知の多さに刺激される。

この福建会館の裏側。こんなのが家の前にあったらいいね。

カメラのボタンが勝手に押されてこんなエフェクトがかかっていたことに帰宅後、気づいた。復元できないので以降の写真は女房のスマホ、あるいはサムネールに。

タバコ屋さんがあちこちにある。いまどき珍しいなと調べたら「長崎は日本最初のタバコ栽培地として有名」だとか。

市内中心部に戻り、出島へ。

修学旅行の中学生で賑やかだったけど、新規に復元された建物ばかりで、展示はすっきりとまとめられているが、ネットで見ればいいやという気分になり、どっと疲れた。

焼き物のプリント柄の技法が19世紀英国で発明されたもので、原画は銅版で刷られて転写していたとか、東インド会社の交易図解などに興味を惹かれるが、この場所でないと感じ取れない空気や雰囲気が無い映画セットのような人工空間なのだ。

早々に退散、市電で思案橋へ。

この市電は一律140円で5分も待つことなく走っていて、乗り換えても追加料金はかからない。一休みしながら街並みを眺めつつ移動できる優れものだ。

ところでこの思案橋という地名、遊郭に行こか止めよかと迷った所だったとか。そんなことが思案なのか?と呆れるが色と欲が世界を動かしているのは古今東西の事実。

ベトナム料理で昼食。地域のベトナム人の拠点になっている店らしく本格派。右手のサラダに添えられた小さな唐辛子が激辛で唇までが痺れて言葉も出なかった。

崇福寺。長崎で一番の見どころだと思うが人影まばらで拝観料は各自で賽銭箱へというおおらかさ。

多くの中国人が長崎に住んでいて、その求めに応じて渡来した僧侶がこの明朝風寺院を創建した。市内にはこういう例が幾つもある。中国で作っておいた部材を日本で組み立てたとか・・・17世紀には安定した船便があったのだ。

国宝指定の門。細かな木組は上海あたりで作られて運び込まれた。航海の無事を祈願する言葉が各所に。

爆心地から際どく山蔭になっていて原爆被害を免れたようだ。すごく内容のあるところなんだけどなあ。翻って観光って何なのだろう?と考えてしまう。

この崇福寺から山際にずらりと寺が並び、その背後の急斜面は墓地となっていて、あちこちに大きな楠があり、京都東山の鳥辺山のようだ。

その中で一番大きな興福寺隠元和尚が開祖と聞いて「それじゃ黄檗宗ですね」と宇治の万福寺の系列と位置付けたが、隠元和尚がまずこの長崎に渡ってきて、それから京都に向かったのだった。

「古来から九州が、江戸時代は長崎が外国文化の入り口だった。」と教科書には書いてあるが実際に来てみないと理解できないものだ。

少し坂を下ったら活気のある商店街が続く。もう一度ゆっくり歩きたい。

一筋向こうは眼鏡橋

ここから市電でホテルに。