千年の孤独

元旦は教王護国寺=東寺に詣でる。
この数年のお決まりコースだ。
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実家から徒歩10分。最近つまらない琴の音を流したりしてガッカリさせられるが、さほど人も多くなく凛とした空気がある。
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大師堂は修復中だが傍の御堂で護摩供養が営まれていて、その作法は中華料理みたいに油や香木を加えて炎を大きくしていく。
これを見てるとご利益がありそうで一本200円の護摩木に祈りを託したくなる。
この寺は都を守るという明確な目的で建てられた。弘法大師は土木から医学まで広範な分野で現実的に効果のある仕事を全国で展開した。心の安らぎといった目に見えないものではなかった。
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桃山時代の名品、金堂。
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陽光の反射で照らされた薬師如来さま。
こういう空間が身近にある有り難さ。
この北側には講堂があって、その中には立体曼荼羅と呼ばれる二十一体の仏像が祀られている。
宇宙の生成を思索しているような瞑想的仏像は人間的な感情とは遥かに隔たっている。
つまり冷たい。
半世紀前、荒れ果てていた境内に、こんな仏像があるなんて考えもしなかったけど、千年以上もの間、ずっと静かに世界の変転に関わりなく存在し続けていたのだ。
その時間に過ぎ去った数え切れないほどの人生。

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干からびて悪ガキが自転車で走り回っていた瓢箪池は今や桜の名所となっている。
常に逆光で陰気なシルエットの塔だけは昔のまま。


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この日の午後、体力を持て余す孫を連れて西本願寺へ。
巨大な建築だが神々しさは全く無い。
親鸞の意図を形にするなら貧乏長屋で良いのかも。
そういう生活感が急速に京都の町から失われている。もしここに住むなら大きな課題になるな。